高いところに登りたがる人を見ると、つい「バカと煙は高いところに登る」という言葉が頭をよぎる。
展望台、屋上、脚立、SNSの上から目線、肩書きマウント。人間はなぜか、少し高い位置に立っただけで自分まで偉くなったような顔をする。実に不思議だ。足場が30cm上がっただけで人格まで上がるなら、ホームセンターの踏み台は聖人製造機になってしまう。
では、この「バカと煙は高いところに登る」は本当なのか。
結論から言うと、煙が高いところに上るのはかなり本当だ。しかし「バカが高いところに登る」は、科学的事実というより、人間の調子に乗りやすさを皮肉ったことわざだ。つまりこの言葉は、単なる悪口ではない。おだてられると浮かれ、目立つ場所に行きたがり、自分を実力以上に大きく見せようとする人間の弱さを突いた、かなり嫌なほど正確な言葉である。
「バカと煙は高いところに登る」の意味
正確には「馬鹿と煙は高いところへ上る」
一般的には「バカと煙は高いところに登る」と言われるが、ことわざとしては「馬鹿と煙は高いところへ上る」と表記されることが多い。
意味は、愚かな人はおだてに乗りやすい、調子に乗りやすい、ということだ。
ここでいう「高いところ」は、単に山やビルの上という意味だけではない。目立つ場所、偉そうに見える立場、注目を浴びる位置、そういう「自分が大きく見える場所」も含んでいる。
つまり、このことわざが笑っているのは、高所そのものではない。高い場所に立っただけで、自分まで高級品になったと勘違いする精神のほうだ。
人間、だいたいこの辺で転ぶ。物理的にも精神的にも。
「バカ」は知能の話だけではない
この言葉の「バカ」は、単に勉強ができない人という意味ではない。
むしろ近いのは、調子に乗る人、見栄を張る人、おだてに弱い人、自分の立場を客観視できない人だ。つまり頭の良し悪しというより、自己認識の甘さを刺している。
実際、現代でもよくある。
少し褒められただけで急に語り出す人。
肩書きをもらった瞬間に態度が大きくなる人。
SNSで少し反応が増えただけで先生ポジションに座る人。
誰も頼んでいないのに上から人生論を投げてくる人。
こういう姿を見ると、昔の人がこのことわざを残した理由がわかる。人類、あまり進歩していない。スマホは進化したが、調子に乗る速度も進化しただけだ。
煙が高いところに上るのは本当か
暖かい空気は上に行きやすい
煙が上に上るのは、かなり科学的に説明できる。
火で温められた空気は周囲の空気より軽くなり、上へ移動しやすくなる。気象庁の「大気の構造と流れ」でも、地表面に近い層から大気が暖められ、上層と下層の大気の交換、つまり対流が起こると説明されている。
たき火、線香、ろうそくの煙を見ると、煙がゆらゆら上に向かう。あれは煙そのものが根性で登っているわけではない。暖められた空気の流れに乗っている。
煙まで努力論で説明し始めたら、いよいよ人間社会も末期だ。
ただし煙は必ず真上に上るわけではない
とはいえ、煙は必ずまっすぐ上に行くわけではない。
風があれば横に流れる。室内の空気の流れがあれば斜めに動く。温度差が小さければ上昇も弱くなる。湿度や気温、気圧、周囲の環境にも影響される。
だから正確に言えば、「煙は条件がそろえば上に上りやすい」が正しい。
ことわざとしては「煙は高いところへ上る」で十分だが、科学的にはもう少し丁寧に見るべきだ。面倒くさいが、現実はだいたい面倒くさい。だから人間はことわざに逃げる。
では、バカは本当に高いところが好きなのか
これは科学法則ではなく人間観察である
「バカは高いところが好き」という部分は、科学的な法則ではない。
別に高所恐怖症のバカもいるだろうし、賢い登山家もいる。高いところに登る人を全員まとめて愚か者扱いするのは乱暴すぎる。山岳救助隊に謝ったほうがいい。
このことわざが言いたいのは、高いところに登る行動そのものではない。
問題は、「高いところに立つことで、自分が偉くなったと錯覚すること」だ。
高い場所は、周囲を見下ろせる。見下ろせると、なぜか心理的にも上に立った気になる。これは現代でも変わらない。オフィスの役職、フォロワー数、肩書き、収入、ブランド品、学歴。これらもある意味では「高いところ」だ。
そこに登った瞬間、下にいる人を見下し始めるなら、それはもう煙と同じである。しかも煙と違って、においまで残す。
おだてに乗る人ほど高く見せたがる
このことわざの中心は「おだて」だ。
人は褒められると気分が良くなる。それ自体は悪くない。問題は、褒め言葉を事実確認せずに飲み込むことだ。
「すごいですね」
「才能ありますね」
「向いてますね」
「先生みたいですね」
こう言われて、そのまま自分を過大評価すると危ない。少しの成功を実力の証明だと思い込み、たまたまの結果を才能と勘違いし、周囲の社交辞令を本気にする。
ここで出てくるのが、自己評価のズレだ。
心理学では、能力が低い人ほど自分の能力不足に気づきにくく、自己評価が高くなりやすいという研究が知られている。いわゆるダニング=クルーガー効果である。もちろん、これを雑に使って「自信家は全員バカ」と言うのは違う。だが、自分の実力を測る力が弱いと、自信だけが先に高いところへ登ることはある。
煙はまだ物理法則に従っている。人間の自信は、時々それすら無視する。迷惑な生き物だ。
由来は断言しないほうがいい
江戸時代由来などは慎重に見るべき
「バカと煙は高いところに登る」の由来については、はっきり断定できる情報は多くない。
ネット上では、江戸時代の火消し、煙出し、見物好き、町人文化などと結びつけて語られることがある。しかし、確実な一次資料に基づいて「これが始まりだ」と断言するのは危険だ。
ことわざは、長い時間の中で言い回しが変わりながら広まる。誰か一人が発明して、正式リリース日まで残っているとは限らない。アプリじゃないのだ。アップデート履歴があると思うな、人類の口伝に。
そのため、記事として書くなら「由来には諸説ある」「明確な初出は断定しにくい」とするのが安全だ。
ことわざは人間観察の圧縮である
このことわざの面白さは、由来よりも観察の鋭さにある。
煙は上に行く。
おだてられた人も上に行こうとする。
その2つを並べるだけで、人間の愚かさが見える。
短い言葉なのに、虚栄心、自己評価、目立ちたがり、権威への弱さまで入っている。ことわざというのは、昔の人の悪口センスが高すぎる文化遺産でもある。
ただし、悪口として使うと角が立つ。いや、角しかない。だから使い方には注意が必要だ。
現代で使うならどんな場面か
SNSで急に偉そうになる人
現代版の「高いところ」はSNSだ。
フォロワーが少し増える。
投稿が少しバズる。
コメントで褒められる。
急に「本質を言うと」と語り出す。
この流れはかなり危ない。自分の発信がたまたま伸びただけなのに、自分の人格まで承認されたと勘違いする。これこそ現代の「高いところへ上る」だ。
SNSは高いビルより危険かもしれない。落ちても骨は折れないが、評判は折れる。
仕事や投資でも同じことが起きる
仕事でも同じだ。
少し成果が出た瞬間に、周囲への感謝を忘れる人がいる。たまたま市場が良かっただけなのに、自分の投資センスだと思い込む人もいる。相場の世界では「バブルと煙は高いところへ上る」という言い換えもある。
これはかなり的確だ。
上がっているものを見ると、人はもっと上がると思い込む。自分だけはうまく逃げられると思う。高いところに登っている最中は景色がいいから、足元の崩れやすさを忘れる。
煙なら消えるだけで済む。投資でそれをやると、財布も一緒に消える。
人に言うときはかなり注意が必要
「バカと煙は高いところに登る」は、便利だが危険な言葉だ。
本人に直接言えば、ほぼ確実にケンカになる。しかも相手が本当に調子に乗っている場合、なおさら効く。効きすぎる言葉は、使い方を間違えるとただの攻撃になる。
使うなら、他人を刺すより自分を戒める言葉として使ったほうがいい。
褒められて浮かれていないか。
少し成果が出ただけで偉くなった気になっていないか。
高い場所に立っただけで、下にいる人を見下していないか。
肩書きや数字で自分の中身まで増えたと勘違いしていないか。
この問いを自分に向けると、ことわざはかなり役に立つ。
まとめ:「バカと煙は高いところに登る」は半分本当、半分は人間への警告
「バカと煙は高いところに登る」は、本当か。
煙については、かなり本当だ。暖められた空気の対流によって、煙は上に向かいやすい。ただし、風や温度差などの条件によって動き方は変わる。
一方で、バカが高いところに登るという部分は、科学的事実ではない。これは人間の調子に乗りやすさ、おだてに弱い性質、目立つ場所に行きたがる心理を皮肉った言葉だ。
つまりこのことわざは、「高いところに登る人はバカ」という単純な話ではない。
本当に怖いのは、高い場所に立っただけで自分まで偉くなったと勘違いすることだ。
展望台に登るのは自由だ。
山に登るのも立派だ。
努力して上を目指すのも悪くない。
だが、登った先で人を見下し始めたら終わりだ。そこから先は、煙と一緒に消えるだけである。
高いところに登るなら、景色を見るために登ればいい。自分を大きく見せるために登ると、足元が見えなくなる。
「バカと煙は高いところに登る」は、他人を笑う言葉に見えて、実は自分の浮かれ方を点検する言葉だ。
少しうまくいった時ほど、低い姿勢でいたほうがいい。煙は上に行くが、人間まで一緒に舞い上がる必要はない。

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