将棋を覚え始めると、かなり早い段階で妙な言葉にぶつかる。
「矢倉」「穴熊」「美濃」「棒銀」「四間飛車」「ゴキゲン中飛車」……。
冷静に考えると、将棋盤の上には矢倉も熊も美濃国も存在しない。それなのに、対局解説では当たり前のように飛び交っている。
では、なぜこんな名前になったのだろうか?
調べてみると、将棋の戦型や戦法の名前は適当につけられているわけではない。駒の形、飛車の位置、人物名、歴史上の呼び名など、その戦法の特徴そのものが名前になっている場合が多い。
一方で、矢倉や美濃囲いのように、長い歴史の中で複数の由来が伝わっているものもある。ここが面白いところだ。
私は戦法名を丸暗記するより、名前の理由まで知ったほうが圧倒的に覚えやすいと考えている。将棋の戦型の名前には、盤上の歴史がかなり詰まっているのだ。
そもそも「戦型」「戦法」「囲い」は少し意味が違う
最初に整理しておきたい。
将棋では「戦型」「戦法」「囲い」という言葉がよく使われるが、厳密には同じものではない。
戦型とは対局全体の形
戦型とは、序盤の進行によってできた対局の大きな形を指す。
代表的なのは、
・矢倉
・角換わり
・相掛かり
・横歩取り
・居飛車対振り飛車
などだ。
「今日の戦型は角換わりになりました」という使われ方をする。
戦法とは攻め方や作戦
戦法は、勝つために使う具体的な作戦だ。
たとえば、
・棒銀
・四間飛車
・三間飛車
・石田流
・ゴキゲン中飛車
・藤井システム
などがある。
もっとも、実際の将棋では戦型と戦法の言葉が重なることも多い。四間飛車を「戦型」と呼んでも普通に通じる。
囲いとは玉を守る形
囲いは玉を金や銀などで守る形だ。
代表例は、
・矢倉囲い
・美濃囲い
・穴熊
・舟囲い
・銀冠
などである。
この3つを完全に分けて覚えようとすると、初心者ほど逆に混乱する。まずは「攻め方や盤面の形につけられた名前」と大きく理解しておけば十分だ。
居飛車と振り飛車の名前の由来はかなり単純
将棋の戦法を大きく分ける言葉が「居飛車」と「振り飛車」だ。
この2つは名前を知れば、そのまま意味が分かる。
居飛車は飛車が元の場所に「居る」
居飛車は、基本的に飛車を最初に置かれている側で使って戦う指し方だ。
つまり、飛車がそこに「居る」から居飛車である。
飛車先の歩を伸ばし、正面から敵陣を攻めていく。
将棋日本シリーズの初心者向け解説でも、居飛車は飛車が元の位置に「居る」指し方として説明されている。実にそのままだ。
振り飛車は飛車を横へ「振る」
対して振り飛車は、飛車を中央や左側へ動かして使う。
飛車を横方向へ「振る」ため、振り飛車だ。
この言葉を理解してしまえば、中飛車、四間飛車、三間飛車の名前も一気に分かる。
四間飛車・三間飛車・中飛車の名前の由来
振り飛車の名前は、飛車を置く場所がそのまま戦法名になっている。
ここは非常に合理的だ。
四間飛車は左から4番目に飛車を振る
四間飛車は、自分から見て左から4番目の筋へ飛車を振る戦法だ。
だから「四間飛車」である。
「四間」という名前から盤面の4筋に飛車を置くと考えると混乱しやすいが、基本的には自分側から見た飛車の位置をイメージすると分かりやすい。
日本将棋シリーズの解説でも、四間飛車は「左から4番目の筋」に飛車を動かす戦法と説明されている。
三間飛車は左から3番目
三間飛車も同じだ。
飛車を左から3番目の筋へ振るため三間飛車。
四間飛車より一つ外側へ飛車を置く形になる。
戦法名としては拍子抜けするほど単純だが、そのほうが覚えやすい。
中飛車は中央に飛車を置く
中飛車はさらに分かりやすい。
盤の中央である5筋に飛車を置くので「中飛車」である。
飛車をどこに置くかを見ただけで戦法名が分かる。振り飛車系の名前はかなり親切だ。
棒銀の名前の由来|銀が本当に棒のように進む
初心者が最初に覚えることも多い戦法が棒銀だ。
名前の理由も非常に分かりやすい。
銀を一直線に前へ出すから棒銀
棒銀では、銀を飛車先へどんどん進めて攻撃する。
銀がまるで棒のように一直線に進む。
だから「棒銀」だ。
飛車と銀を組み合わせて相手の守備陣を突破する、非常に攻撃的な戦法である。
公式の初心者向け解説でも「棒のように右の銀を飛車の前に出していく」ことが名前の理由として説明されている。
将棋の難しい専門用語の中では、ここまで名前と動きが一致している戦法も珍しい。
角換わりの名前の由来|序盤で角を交換する
角換わりも名前通りだ。
序盤で先手と後手の角を交換し、お互いが角を持ち駒にして戦う。
つまり、
「角を換える」
から角換わりである。
角交換後は、いつ相手の角が自陣へ打ち込まれるか分からない。そのため、盤上の隙を消しながら戦う必要があり、プロ棋士の世界では非常に深い研究が進んでいる戦型だ。
日本将棋連盟の書籍紹介でも、角換わりは江戸時代から指されてきた歴史の長い戦型とされている。
名前は簡単なのに、中身はまるで簡単ではない。そのあたりが将棋らしい。
横歩取りの名前の由来|横にある歩を飛車で取る
横歩取りも盤面を見れば意味が分かる。
飛車先の歩を交換したあと、飛車を横へ動かし、相手の3四の歩などを取る。
この横にある歩が「横歩」だ。
その歩を取るため「横歩取り」と呼ばれる。
名前だけ聞くと地味だが、実際には序盤から激しい戦いになりやすい。
一歩を取るだけなのに、その一歩をめぐって膨大な研究が積み重ねられてきた。将棋とはそういうゲームである。
相掛かりの名前の由来|お互いに攻め掛かる
「相掛かり」は少し古風な名前なので、初心者には意味が分かりにくい。
相掛かりでは、先手と後手がお互いに飛車先の歩を伸ばしていく。
つまり双方が相手へ「掛かっていく」、攻め掛かる形だ。
そのため「相掛かり」と呼ばれていると考えると分かりやすい。
昔は現在より広い範囲の戦型を「相懸り」と呼んでいたとされ、横歩取りや古い角換わりも、その系統として扱われていた資料がある。
現在では「双方が飛車先を伸ばし合う相居飛車戦」という意味で覚えておけば問題ない。
矢倉の名前の由来は実は一つに決まっていない
将棋の代表的な囲いといえば矢倉だ。
当然、城にある「櫓」が由来だと思いたくなる。
ところが、ここは少し話がややこしい。
城の櫓に似ているという説
金銀を重ねて玉を守る矢倉の形が、城にある物見櫓などに似ているため「やぐら」と呼ばれるようになったという説がある。
見た目から考えると非常に納得しやすい。
実際、古い資料では「櫓」という字が使われていた例もある。
大阪の「やぐら屋」が好んだという説もある
もう一つ面白い説がある。
江戸時代の棋書には、大阪北浜の「やぐら屋」と呼ばれる人物がこの駒組みを好んだため、この名前になったという記述が残されている。
つまり、
「城の櫓に似ているから」
だけではなく、
「やぐら屋という人物・屋号から」
という可能性もあるわけだ。
由来を一つに断定するのは危険である。
古い戦法ほど、こうした複数の説が残っている。私はこの曖昧さも将棋の歴史のおもしろさだと思う。
美濃囲いの名前の由来はさらに謎が深い
美濃囲いは振り飛車で非常によく使われる囲いだ。
しかし、なぜ岐阜県周辺の旧国名である「美濃」が将棋に登場するのか。
ここにも複数の説がある。
松本紹尊が好んだ形という古い記録がある
岐阜県図書館が国立国会図書館のレファレンス協同データベースで調査した記録によると、1707年刊の『象戯綱目』には現在の美濃囲いにつながる形が確認できる。
また、古い資料には松本紹尊がこの駒組みを好んだという記述も残っている。
ただし「なぜ美濃という名前になったのか」まで完全に確定しているわけではない。
美濃国に関係する人物が使ったという説なども伝わっているが、決定的とは言いにくい。
ここは「美濃という名前の由来には諸説ある」と覚えるのが最も安全だ。
無理に一つへ決める必要はない。
穴熊の名前の由来|玉が穴に潜った熊のように見える
穴熊は将棋の囲いの中でも、とにかく玉を奥深くまで隠す。
香車を動かし、その奥へ玉を入れ、さらに金銀で周囲を固める。
この姿が、
穴に潜っている熊
のように見えることから「穴熊」と呼ばれるようになったとされている。
かなり分かりやすい。
穴熊は完成まで手数がかかる一方、王手がかかりにくいほど深く玉を囲えるのが特徴だ。日本将棋連盟の資料でも、穴熊は一つの戦法として発展してきた歴史が紹介されている。
名称と戦法の性格がここまで一致している例も珍しい。
舟囲いの名前の由来|玉が舟に乗っているように見える
舟囲いも見た目から名前が付いた囲いだ。
玉と金銀が横方向へ並んだ形が、舟のように見える。
特に面白いのは、「舟囲い」という名前が昔から必ず使われていたわけではないことだ。
1955年の『将棋世界』で、名前が付いていなかった囲いの名称を読者から募集する企画が行われ、その中で「舟囲い」という名称が採用されたとされている。
つまり、比較的新しい命名だったわけだ。
昔から存在する形でも、後になって名前が付くことがある。将棋用語は意外と生き物なのである。
石田流の名前の由来|人の名前がそのまま残った
将棋の戦法には、人名が付いたものもある。
その代表例が石田流だ。
石田検校に由来する
石田流は三間飛車系の戦法で、江戸時代の石田検校が考案したと伝えられている。
そのため「石田流」と呼ばれる。
「○○流」という名前は、考案した人物や得意とした人物の名前が残ったパターンが多い。
数百年前の棋士の名前が、現代の将棋AIの画面やプロ棋戦の解説にも普通に出てくる。
そう考えると、かなりすごい話だ。
ゴキゲン中飛車の名前の由来|近藤正和棋士のキャラクター
将棋の戦法名の中でも、異様に親しみやすいのが「ゴキゲン中飛車」だ。
いったい何がゴキゲンなのか。
創始者の近藤正和棋士から付いた名前
ゴキゲン中飛車は近藤正和棋士が生み出した積極的な中飛車だ。
日本将棋連盟の資料でも、近藤正和七段はゴキゲン中飛車の創始者として紹介されている。
さらに棋戦のトークイベントでは、藤井猛九段が「このご機嫌な人から作られた」と近藤棋士を紹介している。
つまり「飛車がゴキゲンだから」という意味ではない。
人物のキャラクターまで戦法名になってしまったわけだ。
これは将棋界でもかなり異色だろう。
藤井システムの名前の由来|藤井猛九段が作った戦法体系
藤井システムは藤井猛九段が生み出した四間飛車の戦法だ。
名前の「藤井」は当然、藤井猛九段から来ている。
現在では藤井聡太竜王・名人が圧倒的に有名なので混同されることもあるが、藤井システムの藤井は藤井猛九段である。
日本将棋連盟も藤井猛九段を四間飛車「藤井システム」の創案者として紹介している。
単なる一つの攻め方ではなく、相手の居飛車穴熊などに対して複数の形へ対応できる考え方だったため「システム」という名称が非常によく似合う。
人名+システム。
昔ながらの「矢倉」や「美濃」と並べると、急にIT企業の製品名のようになるのも面白い。
嬉野流も考案者の名前が由来
嬉野流も人名系だ。
アマチュア棋士の嬉野宏明氏が編み出したことから「嬉野流」と呼ばれている。
日本将棋連盟の書籍紹介でも、嬉野宏明氏が編み出し、天野貴元氏が体系化した戦法として紹介されている。
「嬉しい野流」という意味ではない。
名字である。
知らなければかなり勘違いしやすい名前だ。
エルモ囲いの名前の由来|ついにAIまで戦法名になった
将棋の命名文化は現代でも終わっていない。
その代表が「elmo囲い」だ。
将棋AIのelmoが使ったことが由来
elmo囲いは、コンピューター将棋ソフト「elmo」がよく使っていた形だったため、この名前で呼ばれるようになった。
日本将棋連盟の公式ストアでも「コンピュータ将棋ソフト『elmo』が多用したことでこの名がついた」と説明されている。
江戸時代の石田検校から、現代のコンピューター将棋まで。
数百年離れた名前が同じ将棋盤で普通に共存している。
これはかなり面白い。
将棋の戦型名は大きく4種類に分けると覚えやすい
ここまで見てくると、将棋の戦型や囲いの名前にはある程度のパターンがある。
1.駒の動きから付いた名前
・棒銀
・角換わり
・横歩取り
・相掛かり
実際に何をする戦法なのかが名前になっている。
2.飛車の位置から付いた名前
・中飛車
・四間飛車
・三間飛車
振り飛車はこのタイプが多い。
3.形や見た目から付いた名前
・穴熊
・舟囲い
・銀冠
駒の配置を物に例えている。
4.人物や固有名詞から付いた名前
・石田流
・藤井システム
・嬉野流
・ゴキゲン中飛車
・elmo囲い
将棋の歴史とともに、新しい名称が増えていくタイプだ。
この4種類で考えると、意味不明に見えた将棋用語がかなり整理できる。
まとめ|戦型の名前を知ると将棋の盤面まで覚えやすくなる
将棋の戦型の名前は、単なる専門用語ではない。
四間飛車や中飛車は飛車の位置、棒銀や角換わりは駒の動き、穴熊や舟囲いは盤上の見た目から名前が付いている。
石田流や藤井システム、嬉野流のように、人の名前がそのまま将棋史に残った例もある。
そして矢倉や美濃囲いのように、数百年の歴史があるため、名前の由来そのものが一つに確定していないケースまである。
私はここが将棋用語のおもしろい部分だと思う。
「四間飛車」という文字を見た瞬間に飛車の場所が浮かぶ。「棒銀」と聞けば銀が一直線に進んでくる。「穴熊」と聞けば玉が盤の隅へ潜っていく。
名前の由来が分かれば、用語ではなく盤面として覚えられるのだ。
将棋の戦型名は、一見すると意味不明な暗号に見える。
しかし一つずつ由来を追えば、ほとんどの名前には盤上の理由がある。
だから丸暗記する必要はない。
名前の意味まで理解したほうが、将棋は間違いなく分かりやすくなる。

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