漫画「ドリフターズ」について詳しく学ぶ【第四戦:安倍晴明】

こんにちはTac^^です。

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第三戦 那須与一

大好きな漫画ドリフターズに出てくる人物を中心に、

その登場人物の背景を学んでいければなと思います。

今回はこの作品のキーになりそうな「安倍晴明」について!

目次

安倍晴明とは?

歴史上の記録

安倍 晴明(あべ の せいめい/ はるあき/ はるあきら)

延喜21年1月11日〈921年2月21日〉 – 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉

平安時代の陰陽師。

「晴明」を「せいめい」と読むのは有職読み。本来の読み方は確定していない。

有職読み(ゆうそくよみ)は、

古来からの慣例に従って、漢字で書かれた語を特別な読み方で読むこと。

故実読み(こじつよみ)、名目(みょうもく)、名目読みと同じ。

例として「笏(こつ)」を「しゃく」と読む、「定考(じょうこう)」を「こうじょう」と読むなどがある。

歌学の世界などで、特定の歌人(俊頼(しゅんらい)、俊成、定家、式子(しょくし)内親王など)が音読みされることを有職読みの例とする説がある。

江戸時代以前の歌人・文人・宮廷貴族について使われることが多いが、存命中の人物を含む近現代の政治家・一般人に対しても使用されることがある。

有職読みは諱、いわゆる下の名前に対して使われる用語であり、姓(苗字・名字・氏)に対しては用いられない。例えば源氏や平氏を「みなもとし」「たいらし」でなく「げんじ」「へいし」と呼ぶのは有職読みとは呼ばない。

鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖。

官位は従四位下・播磨守。

名前の読み方が確定していないっていうのは調べて初めて知りました(^◇^;)

出自

晴明の系譜は明らかでない。

大膳大夫・安倍益材(あべのますき)あるいは淡路守・安倍春材の子とされている。

しかし、各種史書では『竹取物語』にもその名が登場する右大臣阿倍御主人の子孫とするものが多い。

ほかに、阿倍仲麻呂の子孫とする説話。

あるいは、一部の古文書では安倍朝臣晴明ではなく安倍宿禰晴明と記載されるものが散見されることや当時は「朝臣」を「宿禰」の上位に厳格に位置づけており、朝臣姓の子孫が宿禰姓となることは考えにくいことから、阿倍御主人の子孫である安倍朝臣姓の家系ではなく、同じく阿倍氏の一族である難波氏(難波吉士、のち忌寸、宿禰)の末裔ではないかとする説もある。

経歴

921年(延喜21年)

摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたとされている。

また、生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もある。

幼少の頃については確かな記録がない。

陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたという。

加茂氏の門下生であり、のちに両家は二大陰陽家となる。

948年(天暦2年)

大舎人。

大舎人(おおとねり)

令制で,左右大舎人寮に属し,宮中で宿直,供奉 (ぐぶ) などを司った下級官人。四位,五位の子や孫から選ばれ,定員は各 800人 (のち左右合せて 400人) であった。
960年(天徳4年)

40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ学生の職)であった晴明は村上天皇に占いを命ぜられており、出世は遅れていたが占いの才能は既に貴族社会で認められていたことが伺える。

970年(天禄1年)頃

50歳頃、天文博士に任ぜられる。

977年(貞元2年)

保憲が没した頃から陰陽道内で頭角を現す。

ただ、陰陽寮を束ねる陰陽頭に就任することは無かった。

位階はその頭よりも上位にあった。

979年(天元2年)

59歳の晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の命で那智山の天狗を封ずる儀式を行う。

このころから花山天皇の信頼を受けるようになったらしく、記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が見られるようになる。

花山天皇の退位後は、一条天皇や藤原道長の信頼を集めるようになったことが、道長の日記『御堂関白記』などの当時の貴族の日記から伺える。

そのほか、『小右記』によると、正暦4(993)年2月、一条天皇が急な病に伏せった折、晴明が禊(みそぎ)を奉仕したところ、たちまち病は回復したため正五位上に叙された。また、『御堂関白記』によると、寛弘元(1004)年7月には深刻な干魃が続いたため晴明に雨乞いの五龍祭を行わせたところ雨が降り、一条天皇は晴明の力によるものと認め被物(かずけもの)を与えたことなどが記されている。

陰陽師として名声を極めた晴明は、天文道で培った計算能力をかわれて主計寮に異動し主計権助を務めた。その後、左京権大夫、穀倉院別当、播磨守などの官職を歴任し、位階は従四位下に昇った。さらに晴明の2人の息子安倍吉昌と安倍吉平が天文博士や陰陽助に任ぜられるなど、安倍氏は晴明一代の間に師である忠行の賀茂氏と並ぶ陰陽道の家としての地位を確立した。

伝承の人物像

疫病神退治をする安倍晴明(泣不動縁起より)

現代では『蘆屋道満大内鑑』による人物像が定着しているが、平安時代では最先端の学問(呪術・科学)であった「天文道」や占いなどを、体系としてまとめた思想としての陰陽道に関して、卓越した知識を持った陰陽師ともいわれ、当時の朝廷や貴族たちの信頼を受け、その事跡は神秘化されて数多くの伝説的逸話を生んでいった。蘆屋道満に代表される道摩法師とはライバル関係にあった。

晴明が死んだ11世紀の内に、早くも晴明は神秘化されていった。歴史物語の『大鏡』『十訓抄』や説話集の『今昔物語集』『宇治拾遺物語』はいくつかの晴明に関する神秘的な逸話を載せる。

後世に陰陽道の経典となる秘伝書『簠簋内伝』(別名『金烏玉兎集』)の著者に仮託されている。実際の晴明の著作としては土御門家に伝わった占事略决がある。

他にも『源平盛衰記』『北条九代記』『古事談』などがある。

作中の様子

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十月機関に所属。

皆に「あべのはるあきら」と名前を名乗っている。

信長はネタの時に「はるあきー」とも言っている。

ちなみに所属している十月機関とは

ドリフターズ世界において、ファンタスティックな技術と組織力を持っている。

魔術師の軍団とも考えられる。

安倍晴明の陰陽道にかなり影響されていると判断できる。

廃城組こと主人公たちとは一線を画した目的意識を持つ集団。

トップは漂流者、安倍晴明。

トップ以外は現地人と思われる。

 

あの中世並みの情報事情で、北壁の民たちから農奴エルフの子供まで、辺境の非知識人層にまで知れ渡っているという脅威の知名度

オルテ帝国指揮下ではない独立した機関。

しかし、仕事内容は代官付き武官にも尊重され、通常の冒険者ギルドからなら断りたいヤバい仕事も、「十月機関なら」と引き受けるものがいるほど権力は持っている様子。

この漫画の紫の次に来るキーの役割を果たしそうですね。

 

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