美濃囲いの名前の由来は、岐阜県図書館が調べた将棋の専門事典にも載っていなかった。
将棋では当たり前のように使われる「美濃囲い」。しかし、その名前がどこから生まれたのかは、意外なほど謎が多い。
では、岐阜県の美濃地方と本当に関係があるのだろうか?
実は、江戸時代の将棋書には、美濃出身の棋士がこの囲いを好んで使っていたという記録が残っている。
結論から言えば、岐阜県の美濃に由来するという説には歴史的な根拠がある。ただし、名前の由来が完全に証明されたわけではない。
今回は、美濃囲いの名前に隠された歴史を、岐阜県図書館の調査や江戸時代の資料から検証する。
美濃囲いは岐阜県の「美濃」が由来なのか?
美濃国に関係する棋士が名前の由来という説
美濃囲いの名前は、岐阜県の美濃地方と関係している可能性がある。
その根拠となるのが、江戸時代に出版された将棋の本だ。
1717年に刊行された『将棊図彙考鑑(しょうぎずいこうかん)』には、松本入道紹尊(まつもとにゅうどうしょうそん)という人物が登場する。
岐阜県図書館が調査した資料によると、松本紹尊は美濃出身の棋士であり、現在の美濃囲いにあたる駒組みを好んだとされている。
駒組みとは、将棋の駒を目的に合わせて配置することだ。
つまり、美濃の人物が愛用した囲いだったため、「美濃囲い」と呼ばれるようになった可能性がある。
ただし、ここで注意したい。
松本紹尊が好んで使ったことと、松本紹尊が考案したことは別の話だ。
名前の由来と発明者を同じ人物だと決めつけることはできない。
参考:国立国会図書館 レファレンス協同データベース「将棋の戦法『美濃囲い』の由来は何か。」
美濃国は現在の岐阜県南部にあたる
そもそも「美濃」とは、どこを指すのだろうか。
現在の岐阜県は、かつて大きく美濃国と飛騨国に分かれていた。
美濃国は現在の岐阜県南部を中心とする地域である。
岐阜市、大垣市、関市、美濃市などを含む広い地域を指していた。
ここで重要なのは、現在の「美濃市」と歴史上の「美濃国」は同じではないことだ。
| 名称 | 指している地域 |
|---|---|
| 美濃国 | 現在の岐阜県南部を中心とする旧国名 |
| 美濃地方 | 現在の岐阜県南部の地域区分 |
| 美濃市 | 岐阜県中濃地域にある自治体 |
| 飛騨国 | 現在の岐阜県北部を中心とする旧国名 |
美濃囲いが美濃国に由来するとしても、美濃市だけに関係するとは限らない。
岐阜県図書館が公開する江戸時代の古地図でも、美濃国と飛騨国の違いを確認できる。
参考:岐阜県図書館「授業で使える当館所蔵地図・美濃国と飛騨国」
江戸時代の資料に残る美濃囲いの歴史
1707年の『象戯綱目』には「箕の手」が登場する
美濃囲いは、近代になって突然生まれた戦法ではない。
江戸時代の将棋書には、現在の美濃囲いにつながる駒組みが記録されている。
代表的な資料が、1707年に出版された『象戯綱目(しょうぎこうもく)』だ。
岐阜県図書館の調査では、この本の第1巻に、四間飛車と美濃囲いに関係する記述があると紹介されている。
興味深いのが「箕の手(みののて)」という呼び名だ。
「箕」とは、農作業などで穀物を選り分けるために使われてきた道具である。
当時、美濃囲いにつながる形が「箕の手」と呼ばれることもあったと考えられる。
では、道具の「箕」と地名の「美濃」は、どちらが先だったのか。
残念ながら、この記録だけでは決められない。
同じ「みの」という音を持つ言葉でも、名前の由来が同じとは限らないからだ。
1717年の『将棊図彙考鑑』には松本紹尊の記述がある
より直接的な手掛かりが、1717年の『将棊図彙考鑑』だ。
この本は原喜鶴によって編まれた将棋書で、早稲田大学図書館が古典籍として所蔵・公開している。
岐阜県図書館が紹介した研究によると、この本には松本入道紹尊が美濃囲いの駒組みを好んだという説明がある。
この記述は重要だ。
単に美濃囲いの形が登場するだけではない。特定の人物と囲いの名前が結び付けられているからである。
ただし、当時すでにその名前が使われていたことと、その人物が命名したことは違う。
松本紹尊が使い始めたのか、以前からあった形を好んだのかは分からない。
歴史的な記録があるからといって、すべての疑問が解決するわけではないのだ。
参考:早稲田大学図書館古典籍総合データベース『将棊図彙考鑑』
松本紹尊はどのような棋士だったのか
松本紹尊は、江戸時代初期に活動したとされる将棋指しだ。
岐阜県図書館の調査では、『日本将棋集成』という書籍の記述も紹介されている。
それによると、松本紹尊は1637年以降、初代伊藤宗看と平手で30番の将棋を指したとされる。
平手とは、双方が通常の駒をすべて使って対局することだ。
記録されている対局成績は、松本紹尊の10勝20敗である。
当時の強豪と対局した人物として、将棋史に名前を残していることが分かる。
しかし、この対局記録だけで美濃囲いを考案したと判断することはできない。
現時点では、美濃出身の有力な将棋指しが、美濃囲いの名称に関わった可能性があると考えるのが適切だ。
歴史資料を時系列で整理すると
| 年代 | 資料・出来事 | 分かること |
|---|---|---|
| 1637年以降 | 松本紹尊と初代伊藤宗看の対局記録 | 松本紹尊が活動していた時期を知る手掛かり |
| 1707年 | 『象戯綱目』刊行 | 「箕の手」という呼び名の記録 |
| 1717年 | 『将棊図彙考鑑』刊行 | 松本紹尊と美濃囲いを結び付ける記述 |
| 2006年 | 『近代将棋』で東公平が由来を考察 | 江戸時代の資料を再検討 |
| 2008年 | 岐阜県図書館が由来を調査 | 複数の資料を照合し、調査結果を公開 |
この表を見ると、美濃囲いの歴史が少なくとも江戸時代までさかのぼることは明らかだ。
一方で、最初に誰が考えたのかについては、慎重な判断が必要になる。
美濃囲いの名前には別の由来説もある
美濃の僧侶が好んで使ったという説
美濃囲いの名前に関係するとされるのは、松本紹尊だけではない。
「音通和尚」という美濃の僧侶が、この駒組みを使ったという説も存在する。
岐阜県図書館が紹介する東公平の研究にも、この説が登場する。
ただし、音通和尚がいつごろ活動した人物なのかについては、調査で確認できなかったとされている。
また、古い資料には「通遠日長」という表記も見られる。
人物の名前や記録に違いがある以上、安易に同一人物だと扱うべきではない。
古い人物にまつわる説明は、資料を一つずつ照合する必要がある。
岐阜城など美濃国の城に由来するという説
美濃囲いの名前については、美濃国の城に由来するという説明も見られる。
確かに、将棋の「囲い」は城の守りを連想させる。
岐阜城のような城郭と結び付けて考えたくなるのも自然だろう。
しかし、名前が似ていることや、城を連想させることは歴史的な証拠にならない。
特に、織田信長が美濃囲いを名付けたという説明をするなら、命名を示す当時の資料が必要になる。
今回確認した公的な調査資料では、そのような命名の事実までは裏付けられていない。
私は、美濃の城が由来だと断定するよりも、江戸時代の棋書に登場する人物との関係を重視すべきだと考える。
「箕」という道具の形から生まれた可能性
もう一つ気になるのが「箕の手」という古い呼び名だ。
もし道具の形から名前が生まれたなら、美濃という地名とは無関係だった可能性も出てくる。
しかし、「箕」という文字が使われていた事実だけでは、その道具が命名の元だったとは証明できない。
読み方が同じなので、別の語に文字を当てた可能性もある。
つまり、現在残っている資料からは、複数の解釈が成り立つ。
由来に関する説を整理すると、次のようになる。
| 由来の説 | 根拠の状況 | 評価 |
|---|---|---|
| 美濃出身の松本紹尊に由来 | 江戸時代の棋書に関連する記述がある | 有力な手掛かり |
| 美濃の僧侶に由来 | 古い資料を引用した研究に登場 | 人物の特定に不明点がある |
| 美濃国の城に由来 | 城と囲いの関係から説明される | 命名の直接証拠は未確認 |
| 「箕」の形に由来 | 1707年の資料に「箕の手」が登場 | 語源としては未確定 |
最も大切なのは、古い資料に書かれている事実と、後から考えられた説明を区別することだ。
そもそも美濃囲いとはどんな囲いなのか
金2枚と銀1枚で玉を守る基本的な陣形
美濃囲いとは、将棋で自分の玉を守るための駒の配置である。
主に振り飛車戦法で使われる。
振り飛車とは、飛車を横方向に動かし、中央や左側から攻める指し方だ。
そのため、玉は飛車から離れた右側へ移動させる。
基本的な美濃囲いでは、玉を2八、銀を3八、金を4九と5八に配置する。
先手側から見た形を簡単に示すと、次のようになる。
美濃囲いの基本形(右側の部分図)
| 段\筋 | 5筋 | 4筋 | 3筋 | 2筋 | 1筋 |
|---|---|---|---|---|---|
| 七段 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 |
| 八段 | 金 | ・ | 銀 | 玉 | ・ |
| 九段 | ・ | 金 | ・ | 桂 | 香 |
※「・」は空きマス。盤面の右側だけを示した簡略図である。
玉の周囲を金銀で守りながら、駒同士が連携できる形になっている。
将棋日本シリーズの公式入門ページでも、美濃囲いは振り飛車でよく使われる囲いとして解説されている。
美濃囲いが強い理由は手数の少なさ
美濃囲いの大きな特徴は、比較的少ない手数で守りを作れることだ。
穴熊などの囲いに比べ、玉を守るために動かす駒が少なくて済む。
そのため、守りを整えながら攻撃の準備を進めやすい。
また、金と銀が互いを支える形になっている。
特に横方向からの攻撃に対応しやすい点が長所だ。
ただし、美濃囲いがすべての攻撃に強いわけではない。
玉の頭にあたる上方向や、端からの攻撃には注意が必要になる。
日本将棋連盟のオンラインストアでも、専門書『美濃囲いを極める77の手筋』の紹介で、こうした弱点が説明されている。
参考:日本将棋連盟オンラインストア「美濃囲いを極める77の手筋」
高美濃囲いや銀冠へ発展することもある
美濃囲いは、一度完成したら終わりというものではない。
対局が進むにつれて、より守りを強める形に変化させられる。
代表的なのが、高美濃囲いと銀冠だ。
高美濃囲いは、金を前方へ進めて守備範囲を広げる形である。
銀冠は、玉の上側を銀などで守り、上方向からの攻撃に備える囲いだ。
美濃囲いから発展する代表的な流れは、次のように整理できる。
美濃囲い → 高美濃囲い → 銀冠
ただし、常にこの順番で組む必要はない。
相手の攻め方や盤面の状況によって、どの形を選ぶかは変わる。
初心者は、まず基本的な美濃囲いの形と、金銀が守り合う仕組みを理解すれば十分だ。
美濃囲いと岐阜県に関するよくある疑問
美濃囲いは岐阜県で誕生したのか?
その可能性はあるが、誕生した場所を特定するだけの証拠は確認できない。
美濃出身の棋士が使ったという記録があっても、その場所で考案されたとは限らない。
将棋の指し方は、人から人へ伝わっていく。
ある地域の人物が広めた戦法でも、最初に使われた場所が同じとは限らないのだ。
「美濃国に由来する説がある」と「美濃国で発明された」は分けて考える必要がある。
美濃囲いは戦国時代から存在したのか?
今回確認した資料から、少なくとも江戸時代には、美濃囲いにつながる駒組みが使われていたと分かる。
しかし、戦国時代から現在と同じ形が広く使われていたとまでは証明できない。
戦国武将が使った軍事的な陣形と、将棋の美濃囲いを直接結び付けることにも注意が必要だ。
歴史の長さを強調したいからといって、確認できない時代までさかのぼるべきではない。
美濃囲いは昔から振り飛車の定番だったのか?
現在では、振り飛車と美濃囲いの組み合わせは非常によく知られている。
しかし、昔から今と同じように使われていたわけではない。
日本将棋連盟の棋戦中継ブログでは、現代のように振り飛車と美濃囲いの組み合わせが一般的になったのは、戦後に大山康晴十五世名人が活躍してからだと説明されている。
つまり、美濃囲いの歴史が古いことと、現代の将棋で広く使われるようになった時期は別なのである。
美濃囲いの名前の由来はどこまで確かめられるのか
公的機関の調査で分かることと分からないこと
歴史を調べるときには、伝説よりも記録を優先したい。
今回、特に重要なのは岐阜県図書館の調査だ。
同館は美濃囲いの名前の由来について、将棋の専門書、歴史資料、研究記事を照合している。
その結果、松本紹尊や美濃の僧侶に関係する記述を確認している。
一方で、関連する人物の詳細など、確認できない部分も明示している。
この姿勢は重要だ。
古い本に書かれているからといって、すべてが事実とは限らない。
歴史上の人物について書かれた説明も、さらに古い記録をもとにしている可能性がある。
私は、「古い本に登場する」という事実と、「歴史的な出来事として証明された」という判断を混同すべきではないと考える。
美濃囲いの語源を調べるなら一次資料から
美濃囲いの名前の由来を深く知りたいなら、次の資料を照らし合わせると理解しやすい。
| 資料 | 確認する内容 |
|---|---|
| 岐阜県図書館の調査記録 | 美濃囲いの由来に関する諸説 |
| 『象戯綱目』に関する研究 | 1707年に記録された駒組みと呼び名 |
| 早稲田大学所蔵『将棊図彙考鑑』 | 1717年の棋書とその内容 |
| 岐阜県図書館の古地図 | 美濃国の地理的な位置 |
特に岐阜県図書館の調査記録は、複数の資料への入口として役立つ。
そのうえで、当時の棋書そのものを確かめれば、後世の解釈との違いにも気付けるはずだ。
また、美濃囲い以外の名前の由来が気になる場合は、将棋の戦型の名前の由来を徹底解説でも紹介している。
矢倉や穴熊、四間飛車などの名前と比較すると、将棋用語が生まれる仕組みも見えてくる。
まとめ
美濃囲いは、岐阜県の美濃地方に由来する可能性が十分にある。
その理由は、江戸時代の将棋書に、美濃出身の棋士・松本紹尊と美濃囲いを結び付ける記述が残っているからだ。
ただし、松本紹尊が最初に考案したのか、誰が「美濃囲い」と名付けたのかは確定していない。
また、美濃の僧侶や「箕の手」という呼び名に関する記録もあり、由来には複数の解釈が残る。
したがって、現時点で最も適切な結論は次のとおりだ。
「美濃囲いの名前は、岐阜県の旧国名である美濃国と関係するという有力な説がある。しかし、正確な命名の経緯は分かっていない」
美濃囲いを単なる将棋の技術として覚えるだけでは、この歴史には気付けない。
次に美濃囲いという言葉を耳にしたら、江戸時代の美濃国と、そこに関係する将棋指したちの存在を思い出してほしい。
そのうえで、岐阜県図書館の調査資料を一度読んでみることをおすすめする。
身近な将棋用語の裏に、日本の地域史が隠れているかもしれない。そう考えると、いつもの将棋盤も少し違って見えるはずだ。

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