イスラエル周辺では、停戦が成立しても、しばらくすると再び戦闘が始まる。ガザ地区だけでなく、レバノン、シリア、イエメン、イラン、紅海まで緊張が広がることも珍しくない。
なぜ、この地域だけが何度も戦争を繰り返すのだろうか?
「ユダヤ教とイスラム教が対立しているから」と説明されることが多い。しかし、私はこの説明では半分も理解できないと感じる。
本当の原因は、宗教だけではない。帝国の崩壊、ヨーロッパ諸国による統治、イスラエル建国、パレスチナ難民、占領地、入植地、周辺国の安全保障、そしてアメリカやイランなどの大国の思惑が重なっている。
つまり、イスラエル周辺の情勢が不安定なのは、一つの争いが続いているからではない。解決されなかった複数の問題が、同じ土地に積み重なっているからだ。
イスラエル周辺が不安定な最大の理由
イスラエル周辺の問題を一言で表すなら、「国境と国家が完成していない地域」だ。
イスラエルという国家は存在している。一方で、パレスチナについては国家として承認する国が多くあるものの、領土、国境、主権、安全保障の形は完全には定まっていない。
さらに、エルサレムを誰の首都とするのか、パレスチナ難民が帰還できるのか、ヨルダン川西岸の入植地をどうするのかという重要問題も残っている。
普通の国同士であれば、国境線があり、その内側を政府が管理する。しかし、イスラエルとパレスチナの間では、その基本部分さえ合意できていない。
建物でいえば、土地の所有者も境界線も決まっていないのに、複数の家族が同じ家で生活している状態だ。揉めない方が不思議である。
第一次世界大戦後に作られた中東の火種
オスマン帝国の崩壊で支配者が変わった
現在のイスラエルやパレスチナを含む地域は、第一次世界大戦までは長くオスマン帝国の支配下にあった。
しかし、第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れると、イギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国が中東へ強く関わるようになった。
パレスチナ地域はイギリスの委任統治下に置かれた。1922年の国際連盟によるパレスチナ委任統治文書には、ユダヤ人の民族的郷土の建設を進める一方、既存の非ユダヤ人住民の権利を害してはならないという内容が含まれている。
問題は、ユダヤ人と現地のアラブ人の双方が、同じ土地に対する権利を主張していたことだ。
イギリスは両者の期待を完全には調整できなかった。むしろ、異なる相手に都合のよい期待を持たせた面がある。現地の将来を現地住民だけで決めず、外国の都合で制度を作ったことが、後の対立を深くしたのだ。
バルフォア宣言がユダヤ人国家建設を後押しした
1917年、イギリス政府はバルフォア宣言を出した。
この宣言は、パレスチナにユダヤ人の「民族的郷土」を作ることを支持したものだ。一方で、パレスチナに住んでいた非ユダヤ人住民の市民的・宗教的権利を害してはならないとも書かれていた。
当時、ヨーロッパではユダヤ人に対する差別や迫害が続いていた。ユダヤ人が安全に暮らせる土地を求める動きは、19世紀末から強くなっていた。
そして、ナチス・ドイツによるホロコーストによって、ユダヤ人国家の必要性はさらに強く意識されるようになった。
しかし、パレスチナにはすでにアラブ人を中心とする住民が生活していた。ユダヤ人にとっては「祖先の土地への帰還」でも、パレスチナ人にとっては「自分たちの土地に外国から人が入ってくる出来事」だった。
同じ出来事を、一方は解放と見て、もう一方は侵入と見る。この認識の差が根本にある。
イスラエル建国とパレスチナ難民問題
国連分割案は二つの国家を作ろうとした
1947年、国連総会はパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する案を採択した。
国連総会決議181号では、エルサレムを特別な国際管理地域とし、それ以外の地域を二つの国家に分ける計画が示された。
ユダヤ人側は分割案を受け入れたが、アラブ側は反対した。
人口や土地所有の状況と比べて、ユダヤ人国家に割り当てられた土地が大きいと考えられたことが理由の一つだ。また、現地住民から見れば、外国の国連が自分たちの土地を分けること自体に納得できなかった。
国連が線を引けば国が完成するほど、人間社会は素直ではない。むしろ、その線が次の戦争の開始線になった。
1948年の戦争で難民問題が生まれた
1948年5月、イスラエルは独立を宣言した。その直後、周辺のアラブ諸国との戦争が始まった。
イスラエルは国家として生き残ったが、多くのパレスチナ人が住んでいた土地を離れた。追放された人、戦闘を恐れて逃げた人、避難したものの戻れなくなった人がいた。
国連パレスチナ難民救済事業機関は、1948年の戦争によって70万人を超えるパレスチナ人が避難民になったとしている。
パレスチナ人はこの出来事を「ナクバ」、つまり大災厄と呼ぶ。
一方、ユダヤ人にとって1948年は、長い迫害の歴史を経て自分たちの国家を持った年だ。
イスラエルでは独立の物語になり、パレスチナでは故郷を失った物語になる。同じ年が正反対の意味を持つ以上、単純な歴史認識の統一はできない。
難民とその子孫の帰還を認めるのか、補償をするのか、別の場所に定住するのか。この問題は現在も完全には解決されていない。
1967年の第三次中東戦争が現在の対立を作った
ヨルダン川西岸や東エルサレムが占領された
1967年の第三次中東戦争で、イスラエルはヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原などを支配下に置いた。
その後、シナイ半島はエジプトへ返還された。しかし、ヨルダン川西岸、東エルサレム、ゴラン高原などをめぐる問題は残った。
戦後に採択された国連安全保障理事会決議242号は、占領地からのイスラエル軍撤退と、地域にある国家の主権や安全に生存する権利を含む和平原則を示した。
しかし、撤退する範囲、国境、安全保障の方法について合意できず、決議は完全には実現していない。
入植地がパレスチナ国家の建設を難しくしている
イスラエルはヨルダン川西岸や東エルサレムで入植地を建設してきた。
イスラエル側には、安全保障上必要な地域だという考えや、ユダヤ人の歴史的な土地だという主張がある。
一方、国連安全保障理事会は決議2334号で、占領されたパレスチナ領域にある入植地には法的な正当性がないとの立場を示し、入植活動の停止を求めている。
入植地が増えると、パレスチナ側の土地が細かく分断される。
道路、検問所、軍事区域、入植地が入り組めば、まとまった国土を持つパレスチナ国家を作ることは難しくなる。
和平交渉をしながら、交渉対象となる土地の状態が変わり続ける。これではパレスチナ側が「交渉している間に土地を失う」と疑うのも当然だ。
宗教は原因というより対立を強める装置である
エルサレムは三つの宗教の聖地である
イスラエル周辺の対立で宗教が重要なのは事実だ。
エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つにとって重要な都市である。
ユダヤ教にとっては神殿の丘や西の壁が重要だ。キリスト教にとっては、イエス・キリストの処刑や復活に関係する場所がある。イスラム教にとっては、アル・アクサ・モスクを含むハラム・アッシャリーフが重要な聖地である。
ユネスコも、エルサレムを三つの一神教にとって神聖な都市と説明している。しかも、各宗教の重要な場所が非常に近い範囲に集まっている。
このため、聖地への立ち入り、警備、発掘、礼拝方法の変更が、単なる地域行政では終わらない。
小さな変更でも、「自分たちの宗教的権利が奪われる」という恐怖につながる。政治家や武装組織がその感情を利用すれば、緊張は一気に広がる。
イスラエル・パレスチナ問題は宗教戦争ではない
ただし、この問題をユダヤ教対イスラム教の戦争と見るのは間違いだ。
パレスチナ人にはイスラム教徒だけでなくキリスト教徒もいる。イスラエル国内にもアラブ系住民やイスラム教徒、キリスト教徒、ドルーズ派などが暮らしている。
対立の中心は、土地、国境、国家、難民、安全保障、政治的権利だ。
宗教は強い感情を生むため、対立を激しくする。しかし、宗教だけを原因にすると、占領や難民、国境問題が見えなくなる。
「昔から宗教で争っている民族だから仕方がない」という説明は、考えることを放棄した言葉にすぎない。
地政学が局地的な争いを地域戦争に変える
イスラエルは国土が狭く安全保障への不安が強い
イスラエルは国土が細長く、周辺には過去に戦争をした国が存在する。
イスラエル側は、敵対する武装組織や国家が国境近くで軍事力を持つことを大きな危険と考える。そのため、攻撃を受けてから反撃するのではなく、危険が大きくなる前に軍事行動を取ろうとする傾向がある。
しかし、イスラエルが安全保障のために占領、封鎖、空爆、軍事作戦を行えば、パレスチナ人や周辺国の住民は自分たちの安全を奪われたと感じる。
イスラエルが安全を求めるほど、相手側の不安や怒りが増える。そして相手が武装すれば、イスラエルはさらに危険を感じる。
これは典型的な「安全保障の悪循環」だ。自分を守る行動が、相手からは攻撃準備に見えるのである。
イスラエルとイランの対立が周辺国へ広がる
現在の中東情勢では、イスラエルとイランの対立も大きい。
両国の対立は国境を直接接していないにもかかわらず、レバノン、シリア、イラク、イエメン、紅海などへ広がってきた。
レバノンにはヒズボラが存在し、イエメンではフーシ派が活動している。国家の正規軍だけでなく、独自の武力を持つ組織が地域政治に強い影響を与えている。
そのため、ガザ地区で始まった戦闘がレバノン国境へ広がり、さらに紅海の船舶やシリア国内の施設が攻撃対象になることがある。
国連も、未解決のイスラエル・パレスチナ問題が、より広い地域の不安定化につながっていると繰り返し警告している。
戦争の当事者が二者だけではない。これが停戦を難しくしている。
アメリカなどの大国が深く関わっている
アメリカはイスラエルの重要な同盟国であり、軍事、外交、安全保障面で強く支援してきた。
一方、イランはアメリカやイスラエルに対抗し、地域での影響力を広げようとしてきた。ロシア、中国、ヨーロッパ諸国も、それぞれの安全保障や経済利益を持っている。
大国の関与には、戦争を抑える効果もある。しかし、特定の勢力への支援が強くなれば、地域内の対立を長引かせる場合もある。
2020年には、イスラエルとアラブ首長国連邦、バーレーンなどの関係正常化を進めるアブラハム合意が成立した。
これは外交上の前進だった。しかし、イスラエルとアラブ諸国の関係が改善しても、パレスチナ問題そのものが解決したわけではない。
周辺国との和平と、パレスチナ人との和平は別問題なのだ。
中東は世界経済の重要航路に近い
中東は石油や天然ガスの産地であるだけでなく、世界の物流に欠かせない海上交通路を抱えている。
ホルムズ海峡、スエズ運河、バブ・エル・マンデブ海峡、紅海は、エネルギーや商品を運ぶ重要な経路だ。
アメリカのエネルギー情報局は、スエズ運河、ホルムズ海峡、バブ・エル・マンデブ海峡などを、世界の石油や天然ガス輸送に重要な地点としている。
戦闘で船が通れなくなれば、輸送時間や保険料、燃料価格が上がる。
つまり、イスラエル周辺の争いは、現地だけの問題ではない。日本を含む世界各国の物価やエネルギー価格にも影響する。
そのため大国は放置できず、軍事力や外交力を投入する。その関与が、さらに別の対立を生む場合もある。実に面倒な構造である。
オスロ合意でも和平が完成しなかった理由
難しい問題を後回しにした
1993年、イスラエルとパレスチナ解放機構はオスロ合意に署名した。
オスロ合意の基本原則宣言では、パレスチナ側の暫定自治を進め、将来の最終合意を目指す仕組みが作られた。
しかし、エルサレム、国境、難民、入植地、安全保障という最も難しい問題は、最終交渉へ先送りされた。
簡単な問題から合意し、信頼を作ってから難しい問題を解決する考えだったのだろう。
ところが、交渉中も入植地の問題や暴力、テロ、軍事作戦は続いた。相手を信用するための時間が、相手をさらに疑う時間へ変わってしまった。
指導者が合意しても社会が納得するとは限らない
和平合意には、政府や指導者の署名だけでなく、社会全体の支持が必要だ。
イスラエル側には、パレスチナ国家ができれば攻撃拠点になると恐れる人がいる。パレスチナ側には、交渉を続けても占領や入植地が残るだけだと考える人がいる。
双方の社会で不信感が強くなれば、強硬な政治家や武装組織が支持を集めやすくなる。
相手が譲歩しないから、自分も譲歩しない。自分が譲歩しないから、相手も譲歩しない。
この繰り返しで、和平を支持する人ほど弱くなり、強硬派ほど「ほら、相手は信用できない」と主張できる。和平が失敗するほど、和平反対派が強くなる仕組みだ。
2023年以降の戦闘が示した根深さ
2023年10月7日、ハマスなどのパレスチナ武装組織がイスラエル南部を攻撃した。その後、イスラエルはガザ地区で大規模な軍事作戦を開始した。
国連の独立調査委員会は、10月7日のイスラエル国内への攻撃と、その後のガザ地区における軍事行動の双方を調査対象としている。
この戦闘は、単に突然起きた事件ではない。
イスラエル市民が持つ攻撃や人質事件への恐怖、パレスチナ人が持つ封鎖や占領、避難生活への怒りが、長期間積み重なった結果でもある。
もちろん、歴史的背景があれば民間人への攻撃が正当化されるわけではない。イスラエル人の命もパレスチナ人の命も、政治的な道具にしてよいものではない。
しかし、背景を無視して軍事力だけで問題を消そうとしても、次の世代にさらに強い怒りを残す。
武装組織を一時的に弱体化させることと、紛争の原因を取り除くことは別だ。この違いを無視する限り、戦闘は形を変えて戻ってくる。
イスラエル周辺の情勢は今後も不安定なのか
残念ながら、短期間で完全に安定する可能性は高くない。
必要なのは、一時的な停戦だけではない。イスラエルの安全を保障しながら、パレスチナ人の国家、自決権、生活、安全を具体的に保障する制度が必要だ。
さらに、次の問題を同時に進めなければならない。
イスラエルとパレスチナの国境、エルサレムの地位、入植地、難民、ガザ地区の統治、武装解除、周辺国との安全保障である。
どれか一つだけを解決しても、別の問題から戦闘が再開する。
「まず相手を完全に倒してから和平を考える」という発想では終わらない。相手の社会そのものを消すことはできないからだ。
イスラエル人もパレスチナ人も、その土地から突然いなくなることはない。最終的には、どのような形であっても同じ地域で共存する制度を作るしかない。
まとめ
イスラエル周辺の情勢が不安定なのは、ユダヤ教とイスラム教が争っているからだけではない。
第一次世界大戦後の委任統治、バルフォア宣言、1947年の国連分割案、1948年のイスラエル建国とパレスチナ難民、1967年以降の占領、入植地、エルサレム問題が積み重なっている。
そこへイスラエルの安全保障不安、パレスチナ人の国家建設、イランとの対立、武装組織、大国の支援、石油と海上交通路が加わっている。
宗教は重要だ。しかし、宗教だけを見ても本質は分からない。
この地域で争われているのは、信仰だけではなく、誰がどこに住み、誰が土地を管理し、誰が国家を持ち、誰が安全に生きられるのかという現実的な問題だ。
歴史を知れば、どちらか一方だけを完全な正義、もう一方を完全な悪として説明することが難しいと分かる。
だからといって、暴力を仕方がないと認める必要はない。
むしろ、簡単な善悪論では解決できないからこそ、国境、国家、安全保障、人権を同時に扱う政治的な仕組みが必要なのだ。
過去を忘れれば同じ失敗を繰り返す。しかし、過去だけに支配されても和平には進めない。
イスラエル周辺に必要なのは、歴史を消すことではない。異なる歴史を持つ人々が、互いを消さずに暮らせる制度を作ることである。

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