「中東は宗教の違いで争っている」。この説明は分かりやすいですが、あまりにも乱暴です。宗教だけを原因にすると、なぜ停戦が何度も破られ、なぜ和平交渉が前に進まず、なぜ周辺国や大国まで巻き込まれるのかを説明できません。
では、イスラエル周辺の情勢は、なぜこれほどまでに不安定なのでしょうか?
私が歴史資料や国連決議を読んで強く感じるのは、原因が一つではないことです。土地をめぐる二つの民族の願い、戦争で生まれた難民、宗教的な聖地、占領と入植、安全保障への恐怖、さらにイランや米国などの思惑が重なっています。
宗教は火種です。しかし、その下には歴史、領土、国家、安全保障という巨大な火薬庫があります。だから、一度の停戦だけでは終わらないのです。
イスラエルとパレスチナの対立は「古代からの戦争」ではない
現代の対立は19世紀末から形になった
「ユダヤ人とアラブ人は何千年も争ってきた」と言われます。しかし、現在の紛争をその言葉だけで説明するのは間違いです。
現代の直接的な対立は、主に19世紀末から20世紀に形になりました。当時、欧州ではユダヤ人への差別や迫害が続いていました。そこで、ユダヤ人の国家や民族的な故郷を求めるシオニズム運動が広がります。
一方、パレスチナを含むアラブ社会でも民族意識が強まり、自分たちの土地に独立国家を作ろうとする動きが生まれました。
第一次世界大戦後、オスマン帝国が崩壊し、パレスチナは英国の統治下に入ります。1917年のバルフォア宣言で、英国はユダヤ人の「民族的郷土」の建設を支持しました。同時に、現地の非ユダヤ人住民の権利を害してはならないとも書きました。この考えは後のパレスチナ委任統治文書にも入りました。
しかし、一つの土地に二つの民族的な希望を置きながら、最終的な国家の形を決めなかったのです。私には、対立の種が最初から制度の中に入っていたように見えます。
1947年の分割案は和平を完成させなかった
1947年、国連総会はパレスチナをユダヤ国家とアラブ国家に分け、エルサレムを国際管理下に置く案を採択しました。これが国連総会決議181です。
ユダヤ側は分割案を受け入れました。しかし、パレスチナ・アラブ側と周辺のアラブ諸国は、土地と人口の配分が不公平だとして拒否しました。
重要なのは、決議181が現在の国境を確定した命令ではなく、国連総会による分割の勧告だったことです。計画どおりに二つの国家が平和に成立したわけではありません。
決議の後、共同体間の戦闘が激しくなりました。1948年5月にはイスラエルが独立を宣言し、戦争は周辺のアラブ諸国を巻き込む国家間戦争へ広がりました。
同じ1948年が「独立」と「大災厄」に分かれた
イスラエル側にとって、1948年は国家を作り、生き残った独立の年です。ユダヤ人迫害の歴史を考えれば、安全な国家を必要とする思いは非常に強いものです。
しかし、パレスチナ側にとっては、故郷を失い、多くの人が難民となった「ナクバ」、つまり大災厄の年です。
同じ出来事が、一方には勝利として、もう一方には喪失として記憶されています。この二つの記憶を無視して和平を語っても、話は絶対にかみ合いません。
1948年の国連総会決議194は、平和に暮らす意思のある難民の帰還や、帰還しない人への補償について示しました。しかし、イスラエル側は大規模な帰還を国家の安全や人口構成への脅威と考えます。パレスチナ側は帰還を失った権利の回復と考えます。
難民問題は過去の話ではありません。家族の記憶、財産、国籍、現在の生活まで続く問題なのです。
1967年から「占領」が対立の中心になった
六日戦争で支配する土地が大きく変わった
1967年の六日戦争で、イスラエルはヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原を支配しました。
同年の国連安全保障理事会決議242は、戦争による領土取得を認めないという原則を示しました。同時に、占領地からのイスラエル軍の撤退と、すべての国が安全な境界内で暮らす権利を求めました。
ここから争いは、歴史上の記憶だけではなく、現在の土地、軍事支配、国境、移動の自由をめぐる問題になります。時間がたてば自然に忘れられる対立ではなくなったのです。
入植地が和平の土台を変えてしまう
イスラエルはヨルダン川西岸や東エルサレムで入植地を広げてきました。イスラエル側には、歴史的・宗教的なつながりや安全保障上の必要を主張する声があります。
一方、国連安全保障理事会の決議2334は、東エルサレムを含む占領地の入植活動には法的な有効性がなく、二国家解決への大きな障害だとしています。
国際司法裁判所も2024年の勧告的意見で、占領地における継続的な駐留や入植政策について厳しい判断を示しました。これは当事国間訴訟の判決とは性格が違いますが、国際法上の重要な見解です。
入植地が増えれば、道路、水、農地、住民の移動に影響します。パレスチナ側には、「交渉している間にも将来の国土が失われる」という不信が生まれます。これは和平を内側から壊す重大な問題です。
宗教は原因のすべてではないが、対立を強烈にする
エルサレムには三つの宗教の聖地が重なる
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって重要な都市です。UNESCOの世界遺産資料も、旧市街を三宗教の聖都として説明しています。
ユダヤ教にとっては、古代神殿と西壁が重要です。キリスト教にとっては、イエスの受難、埋葬、復活と結び付く聖墳墓教会があります。イスラム教にとっては、アル・アクサ・モスクと岩のドームがあるハラム・アッシャリーフが特別な場所です。
問題は、聖地が別々の都市にあるのではなく、非常に狭い地域に重なっていることです。同じ土地が、宗教によって異なる名前、物語、意味を持っています。
礼拝の小さな変更が主権の問題になる
エルサレムの聖地には「現状維持」と呼ばれる管理ルールがあります。誰が管理するのか、誰が祈れるのか、どこを修理できるのかといった細かな決まりです。
神殿の丘・ハラム・アッシャリーフでは、ヨルダンの宗教財産管理組織が宗教面で重要な役割を持ち、イスラエル側が治安や入場を強く管理しています。イスラエル・ヨルダン平和条約第9条も、エルサレムのイスラム教聖地におけるヨルダンの特別な役割に触れています。
そのため、入口の制限や礼拝方法の小さな変更でも、「主権を奪う動きだ」と受け取られます。宗教的な事件が、すぐに民族と国家の対立へ変わるのです。
私は「宗教が戦争を起こしている」というより、「宗教的な象徴が領土と主権の争いを爆発させる」と考える方が正確だと思います。
地政学が地域の対立をさらに大きくする
イスラエルとイランは直接・間接の両方で争う
イスラエルは、イランの核開発、ミサイル、周辺武装組織への支援を重大な脅威と考えています。
イランは、レバノンのヒズボラ、イラクやシリアの武装組織、イエメンのフーシ派などとの関係を通じて地域への影響力を広げてきました。ハマスにも支援を行ってきましたが、これらの組織がすべてイランの命令だけで動くわけではありません。それぞれに独自の政治目的があります。
レバノンでは、政府が全面戦争を望まなくても、ヒズボラとイスラエルの攻撃が続けば国全体が巻き込まれます。国連安保理決議1701の仕組みが完全に実行されていないことも、不安定さを残しています。
国家同士の戦争だけではありません。複数の武装組織が国境を越えて動くため、一つの停戦協定だけで全員を止めることは難しいのです。
安全保障のための行動が相手の恐怖を強くする
イスラエルは「攻撃を防ぐため」として軍事力を強めます。イランや武装組織も「自分たちを守るため」としてミサイルや武器を増やします。
しかし、相手から見れば、防衛の準備が攻撃の準備に見えます。そこで、さらに武器と同盟を増やします。
安心するための行動が、相手の恐怖を強くするのです。これを安全保障のジレンマと呼びます。この悪い輪が止まらない限り、どちらも安全にはなれません。
米国と湾岸諸国にも別の計算がある
米国は長年、イスラエルへ大規模な軍事支援を行っています。米議会調査局の資料からも、その関係の深さが分かります。
この支援はイスラエルの防衛力を高めます。一方、イラン側から見れば、イスラエルだけでなく米国まで含む巨大な軍事圏に見えます。米国は和平を仲介する国であると同時に、対立の力関係を作る当事者でもあるのです。
2020年には、UAEやバーレーンがアブラハム合意によってイスラエルとの関係を正常化しました。背景には経済協力に加え、イランへの警戒があります。
しかし、アラブ諸国がイスラエルと協力しても、パレスチナ問題が消えるわけではありません。むしろパレスチナ側に「自分たちは置き去りにされた」という怒りが広がれば、新しい不安定要因になります。
中東の衝突が世界経済へ直結する
中東には、ホルムズ海峡、紅海、バブ・エル・マンデブ海峡、スエズ運河があります。石油、天然ガス、コンテナ船が通る世界経済の急所です。
米国エネルギー情報局の海上輸送資料を見ると、ホルムズ海峡が世界の石油・天然ガス輸送にとって非常に重要だと分かります。
この海域で攻撃が起きると、船は遠回りをし、輸送時間、燃料費、保険料が上がります。中東のミサイル一発が、日本を含む世界の物価にまで届くのです。だから大国も簡単には離れられません。
なぜ和平交渉は何度も失敗するのか
オスロ合意は難しい問題を先送りした
1993年、イスラエル政府とパレスチナ解放機構は、相互承認と暫定自治を定めたオスロ合意に署名しました。
これは大きな前進でした。しかし、エルサレム、難民、入植地、国境、安全保障など、最も難しい問題は後の交渉へ回されました。
話しやすい部分から始める方法は合理的です。しかし、核心を決めないまま時間が過ぎれば、反対勢力が和平を壊す機会も増えます。
私には、オスロ合意は和平の完成ではなく、完成までの道順だったように見えます。その道順を最後まで歩けなかったことが致命的でした。
交渉相手が一つではない
イスラエル政府、パレスチナ自治政府、ハマス、レバノン政府、ヒズボラ、イラン、米国、湾岸諸国は、それぞれ異なる目的を持っています。
ガザで戦闘を止めても、ヨルダン川西岸の入植問題は残ります。レバノン国境を静かにしても、イランとの対立は残ります。人質や拘束者をめぐる合意が成立しても、難民、国家、国境の問題は終わりません。
一つの場所で停戦しても、別の場所から火が上がります。これがイスラエル周辺の情勢を長く不安定にしている構造です。
まとめ
なぜイスラエル周辺の情勢はこれほどまでに不安定なのか。その答えは、宗教だけではありません。
英国委任統治期に作られた不安定な制度、1948年の二つの記憶、難民問題、1967年以降の占領と入植、エルサレムの聖地、イスラエルの安全保障不安、イランと武装組織、米国や湾岸諸国の思惑が重なっています。
宗教は対立を強くする言葉になります。しかし、争いを長引かせている中心には、領土、国家、権利、安全保障があります。
パレスチナ人の自由と尊厳を無視した平和は続きません。同時に、イスラエル人が攻撃への恐怖を抱えたままの和平も続きません。どちらか一方だけを消せば解決する、という考えこそ危険です。
必要なのは、聖地の管理だけでも、短い停戦だけでもありません。占領、入植、難民、安全保障、国家の形を同じ交渉の中で扱う覚悟です。核心から逃げ続ける限り、中東の火は何度でも燃え上がるのです。

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