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SNSは欺瞞の宝庫。利用する価値はない?あるとすれば「使う側」に回ることだけだ

SNSは、きれいごとの顔をした承認欲求の見本市だ。
「ありのままの私」と言いながら、実際には何十枚も撮り直した写真を載せる。「本当におすすめ」と言いながら、裏では案件だったりする。「みんな言ってる」と言いながら、ただ一部の声が異常に大きいだけだったりする。

では、SNSは利用する価値がないのか。
結論から言えば、何も考えずに眺めるだけなら価値はかなり低い。むしろ時間、集中力、判断力を削られる危険な道具だ。人類は便利な道具を作るたびに、自分の首輪も一緒に発明する。器用なのか愚かなのか分からない。

ただし、SNSを「交流の場」ではなく「情報収集」「発信」「導線づくり」「実験場」として使うなら、まだ価値はある。
つまりSNSは、信じる場所ではない。使う場所だ。

目次

SNSが欺瞞の宝庫だと感じる理由

キラキラ投稿は現実ではなく編集後の切り抜きである

SNSで見える他人の生活は、基本的に編集済みだ。
旅行、食事、仕事、恋愛、収入、筋トレ、勉強、育児。どれも一番見栄えのいい瞬間だけが切り取られている。失敗、退屈、不安、借金、部屋の汚さ、寝起きの顔、地味な努力はだいたい映らない。まあ、そんなものを毎日見せられても困るが。

問題は、それを見ている側が「これが相手の日常全部だ」と錯覚することだ。
SNSは他人の人生の総集編を、自分の通常営業と比較させてくる。勝てるわけがない。こちらは洗濯物をたたみながら見ているのに、相手は人生のハイライト映像を流している。勝負として成立していない。

だから、SNSを見るほど焦る人は、まず前提を変えたほうがいい。
あれは現実ではない。現実を材料にした広告ポスターだ。

「本音っぽい広告」が多すぎる

SNSの厄介なところは、広告が広告の顔をしていないことだ。
昔の広告は分かりやすかった。「買ってください」と叫んでいた。今は違う。「これ、個人的にめちゃくちゃ良かった」「知らないと損」「もっと早く買えばよかった」という形で近づいてくる。広告なのに友人の口コミのふりをする。人類、ついに宣伝まで人間関係に偽装し始めた。

実際、日本では2023年10月1日から、広告であることを隠すステルスマーケティングは景品表示法違反の対象になっている。消費者庁も、広告であることが分からないと、消費者が第三者の感想だと誤認し、合理的に商品やサービスを選べなくなる可能性があると説明している。
一次情報:消費者庁「ステルスマーケティングは景品表示法違反となります」
https://www.caa.go.jp/policies/policy/representation/fair_labeling/stealth_marketing

ここから分かるのは単純だ。
SNS上の「おすすめ」は、信用する前に疑ったほうがいい。特に商品名、サービス名、リンク、クーポン、限定キャンペーンが出てきたら、一度冷めた目で見るべきだ。感動している投稿者ではなく、売上の導線かもしれない。

炎上と極論が目立つ仕組みになっている

SNSでは、冷静な意見よりも強い言葉が伸びやすい。
「一理ある」より「絶対に間違っている」。
「場合による」より「これをやらない人は終わり」。
「慎重に考えたい」より「今すぐ逃げろ」。

人間は穏やかな真実より、刺激のある断言に反応しやすい。SNSはその弱さを丁寧に収益化している。すばらしい文明だ。嫌味ではなく、少し嫌味だ。

総務省の令和6年通信利用動向調査では、インターネット利用目的として「SNSの利用」が81.9%と高い割合を占めている。また、インターネット利用者の約7割が利用時に何らかの不安を感じているとされている。つまり、多くの人が不安を感じながら、それでもSNSを使っている。もはや現代版の小さな修行である。
一次情報:総務省「令和6年通信利用動向調査」
https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01tsushin02_02000178.html

SNSを使う価値がない人

ただ眺めるだけの人には価値が薄い

SNSを目的なく眺めるだけなら、正直かなり危ない。
気づけば10分、20分、1時間が消える。得たものは、他人の外食写真、知らない人の怒り、謎の成功法則、見なくてもよかった炎上。失ったものは、集中力と時間。交換レートが悪すぎる。

SNSを見ている時間は、何かをしているようで、実際には何も積み上がっていないことが多い。
読書でもない。勉強でもない。休息としても中途半端。情報収集のつもりでも、実際には感情を揺さぶられているだけ。これを毎日続ければ、頭の中が他人の意見で散らかった部屋になる。

私自身、SNSを見た後に「よし、人生が前に進んだ」と感じたことはほとんどない。むしろ「何を見ていたんだ」となることのほうが多い。人間、薄々くだらないと分かっているものほどやめにくい。悲しいほど仕様通りだ。

比較して落ち込む人は距離を取ったほうがいい

SNSを見るたびに、自分の生活、収入、仕事、容姿、人間関係と比較して落ち込むなら、その使い方はもう合っていない。
自分を奮い立たせるための情報ならいい。しかし、見た後に毎回疲れるなら、それは情報ではなく毒に近い。

SNSでは成功者が大量に見える。
でも、その裏にいる無数の失敗者、撤退者、沈黙している人たちは見えにくい。結果だけが目立つ世界で、自分の途中経過を比べれば苦しくなるに決まっている。

他人の成果を見て刺激を受けるなら使えばいい。
でも、他人の成果を見て自分を責めるだけなら、使う価値はない。そんなものはスマホの中に住む小型の自己否定装置だ。わざわざ持ち歩かなくていい。

真偽確認をしない人ほど危ない

SNSで最も危ないのは、情報をすぐ信じることだ。
特に災害、政治、医療、投資、税金、法律、事件に関する投稿は注意したほうがいい。断言口調で書かれていても、正しいとは限らない。むしろ断言が強いほど怪しいこともある。

総務省のICTリテラシー実態調査では、偽・誤情報に接触した人のうち、4人に1人が何らかの形で情報を拡散したとされている。さらに、ICTリテラシーが重要だと考える人が多い一方で、向上に向けた具体的な取り組みをしていない人も多い。要するに「大事なのは分かっているけど、特に鍛えてはいない」という状態だ。人間の通常運転である。
一次情報:総務省「ICTリテラシー実態調査」
https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01ryutsu05_02000176.html

SNSで見た情報は、最低でも次の確認をしたほうがいい。
発信元は誰か。
一次情報はあるか。
日付は古くないか。
他の信頼できる媒体でも確認できるか。
画像や動画は別の文脈からの使い回しではないか。

内閣官房も、偽情報への対処法として、情報源の確認、他の人やメディアの発信確認、画像や動画の真偽確認、背後の意図を考えること、ファクトチェックの確認を挙げている。
一次情報:内閣官房「偽情報にだまされないために」
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/nisejouhou_portal/keihatsu.html

それでもSNSに価値がある場面

情報の初動をつかむには使える

SNSは信じる場所ではないが、世の中の動きを早く知るには使える。
ニュースになる前の現場感、利用者の不満、新サービスの反応、障害情報、地域の小さな変化などは、SNSのほうが早いことがある。

ただし、早い情報は雑だ。
速報性と正確性は別物である。SNSで見つけて、公式サイト、自治体、企業発表、行政資料、報道機関で確認する。この流れなら価値がある。SNSだけで結論を出すから危ない。

つまり、SNSは「答え」ではなく「入口」として使うべきだ。
入口に住みつくから、頭が疲れる。

発信者側に回るなら価値がある

SNSの価値は、見る側よりも発信する側にある。
ブログ、サービス、商品、仕事、作品、実績、考え方を知ってもらう導線として使うなら、SNSはまだ強い。

特に個人事業主、ブロガー、講師、クリエイター、店舗運営者にとって、SNSは無料で使える告知場所になる。もちろん、無料と言いながら時間と精神を持っていくので、実質は高級サブスクみたいなものだが、それでも使い方次第では効果がある。

大事なのは、SNSで完結させないことだ。
SNSは流れて消える。ブログ、ホームページ、メルマガ、予約ページ、販売ページなど、自分の資産になる場所へつなげるべきだ。SNSだけで勝負すると、アルゴリズム変更ひとつで吹き飛ぶ。借地に豪邸を建てるようなものだ。

信頼できる人との弱いつながりには使える

SNSにも、まともな使い道はある。
同じ分野の人の考えを知る。近況をゆるく把握する。直接会わない人と薄くつながる。仕事や学びのきっかけを得る。こういう用途なら意味はある。

ただし、つながりすぎると疲れる。
全員の意見を読む必要はない。全員に反応する必要もない。全員から好かれる必要もない。そんなことをしようとするから、SNSが精神の勤怠管理システムみたいになる。

フォロー数は少なくていい。
通知は切っていい。
見たくない人はミュートでいい。
義理のいいねも不要だ。

SNSは人間関係の拡張ツールだが、放置すると人間関係の湿気まで拡張してくる。風通しは自分で作るべきだ。

孤立を防ぐ相談窓口としての価値もある

SNSやチャットは、単なる承認欲求の装置ではない。相談につながる入口にもなる。
厚生労働省は、SNSやチャットによる相談窓口を案内しており、年齢や性別を問わず利用できる相談先も掲載している。これはSNSのかなり重要な価値だと思う。声に出して相談しにくい人にとって、文字で相談できる入口があることは大きい。
一次情報:厚生労働省「SNS相談」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_sns.html

つまり、SNSそのものが悪というより、使い方の問題だ。
人を比べさせ、買わせ、怒らせる仕組みとして使われると害が大きい。
一方で、必要な情報、相談先、仕事の導線、学びの入口として使うなら価値は残る。

SNSを使うなら決めるべきルール

見る時間を決める

SNSは、時間を決めずに使うと確実に食い荒らしてくる。
1日10分、朝だけ、夜は見ない、投稿後だけ確認する。このくらい雑でもいいから制限を作ったほうがいい。

特に寝る前のSNSは危ない。
眠る前に他人の怒り、成功、炎上、広告を浴びる必要はない。脳にゴミを詰めてから寝るようなものだ。睡眠に謝ったほうがいい。

情報収集用と発信用を分ける

SNSを使うなら、目的を分けるべきだ。
情報収集用は、公式アカウント、専門家、一次情報に近い発信者を中心にする。
発信用は、自分のブログ、商品、活動、実績につなげる。

この2つを混ぜると、発信するつもりで開いたのに、いつの間にか他人の投稿を眺めて終わる。SNSあるあるだ。罠が原始的なのに、毎回きれいに引っかかるのが悔しい。

数字を人格評価にしない

フォロワー数、いいね数、表示回数は、あくまで反応の数字だ。人格の点数ではない。
数字が伸びたら改善点を見る。伸びなければ原因を探る。それだけでいい。

SNSで数字を追うのは悪くない。ブログや商売につなげるなら、むしろ必要だ。
ただし、数字が少ないから自分に価値がない、数字が多いから相手が正しい、という考え方は危険だ。SNSの数字は、正しさよりも刺激、タイミング、見せ方、運にも左右される。

数字は見る。
でも、数字に支配されない。
この線引きができないなら、SNSは少し離れたほうがいい。

まとめ:SNSは欺瞞の宝庫だが、使い方を絞れば価値はある

SNSは欺瞞の宝庫だ。
盛られた日常、広告っぽくない広告、極論、炎上、偽情報、比較、承認欲求。まともな顔をして、かなり面倒なものを大量に流し込んでくる。

だから、何も考えずに使う価値はない。
特に、眺めるだけ、比較するだけ、信じるだけ、反応するだけなら、時間と心を削られるだけだ。

一方で、SNSには使い道もある。
情報の初動をつかむ。
ブログやサービスへの導線にする。
仕事や活動を知ってもらう。
信頼できる人とゆるくつながる。
必要な相談窓口にたどり着く。

この使い方なら、SNSにはまだ価値がある。

私の結論ははっきりしている。
SNSは「見るもの」ではなく「使うもの」だ。
信じる場所ではなく、確認する入口。
居場所ではなく、導線。
暇つぶしではなく、目的を持って触る道具。

SNSに飲まれる側に回ると、ただ疲れる。
SNSを使う側に回れば、まだ利用価値はある。
スマホの中の小さな劇場に人生を奪われる必要はない。舞台裏を見抜いて、必要なときだけ使えばいい。

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この記事を書いた人

30代ブロガー
いろいろあって苦労したことの備忘録
少しでも皆さまのお役に立てれば幸いです✨

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