こんにちはTac^^です。
岐阜城に登ってリス村へ
ロープウェー乗って名和昆虫博物館
そして日本三大大仏に会いに行ってきました。
岐阜城のある金華山を登山
金華山
今回は七曲りで登山してきました。
だいたい1時間くらいのゆっくりペースで。
昔は、大手道として岐阜城への通勤道に使われていた七曲り登山道。登山道には今でも 当時積まれたと言われる石積み等が残っており、歴史を感じることができます。
また、登り口付近ではツブラジイやアラカシなどの金華山の特徴的な森が広がります。さらに 登っていくとヒノキの植林やアベマキ林などが見られ、植物の移り変わりも楽しむことができます。
頂上では岐阜城見学とリス村へ
岐阜城は、かつて稲葉山城と称し、戦国時代には、斎藤道三公の居城でもあったところです。
特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄10年(1567年)(一説に永禄7年)8月、不世出の英傑織田信長公がこの城を攻略し、この地方一帯を平定するとともに、地名も「井の口」を「岐阜」と改称し、天下統一の本拠地としてからでした。
現在の城は昭和31年7月、岐阜城再建期成同盟によって復興されたものです。城内は史料展示室、楼上は展望台として多くの人に親しまれています。
また、金華山一帯は平成23年(2011年)に「岐阜城跡」として国史跡に指定されています。
岐阜城は現在築城されている城郭のうちでは、有数の高さ(標高329メートル)にあり、最上階からは、眼下に鵜飼で有名な清流長良川が市内を貫流し、東には恵那山、木曽御岳山が雄大な姿を見せ、北には乗鞍、日本アルプスが連なっています。
また西には伊吹、養老、鈴鹿の山系が連なり、南には濃尾の大平野が豊かに開け、木曽の流れが悠然と伊勢湾に注いでいるさまを一望におさめることができます。
岐阜城は入館料が200円
資料館にも入れましたが、時間がなくてそちらは見れませんでした。
その後リス村へリスにふれあいに
入館料はこちらも200円
金華山に生息するリスは、昭和11年岐阜公園を中心に「躍進日本大博覧会」が
開催されたとき、当時珍しいタイワンリスが観衆の見せ物として多数持ち込まれました。
この時のリスが集団で金華山に逃げ込み、野生化したと言われています。
金華山には、リスの食べるシイの実やドングリの実が豊富で、他に天敵も少なく、リスの環境には、大変良い場所で、現在も多数生息しています。
この金華山の野生のリスを、そのまま自然の中で子供たちと遊ばせたいと願って、長い年月をかけてリスを調教し、昭和40年に当時日本で初めての「リス村」を開村しました。
リス村は、金華山山頂駅の前にあって、周囲は自然を大切に、太陽と緑の環境に恵まれ、忍び返しという外に出られない広い柵の中で、リス たちは自由にのびのびと暮らしています。
ロープウェーで降りて名和昆虫博物館へ
片道大人620円かけてロープウェーで降りました。
流石に降りまで登山は疲れるのでww
そして、名和昆虫博物館へ
入館料は500円
世界の美チョウ「飛ぶ宝石」と形容されるミイロタテハの仲間、翅の裏面が非常に多彩で美しいカザリシロチョウの仲間、世界で最も豪華、華麗と形容されるトリバネアゲハの仲間など、目をみはるチョウたちが多数展示してあります。
クイズで学ぼう!遊ぼう! 不思議な昆虫の世界
実物標本を使った13問のクイズを通じて、昆虫の不思議な世界を体験していただく主旨で展示しています。
参加者の中から抽選で1年に30名の方に、すてきな賞品が当たります。ぜひご家族でチャレンジしてみてください。
ギフチョウ物語
名和昆虫研究所の設立者である名和靖によって発見されたギフチョウを、実物標本、生態写真パネルなど多角的に展示しています。また、ギフチョウの生態展示もおこなっています。
世界のカブト・クワガタ
世界中のカブトムシ、クワガタムシの中でも、大型種、有名種を中心に展示しています。
「カブト・クワガタ特選コーナー」では、ヘルクレスオオツノカブトの原名亜種の大型の個体や、100mmを超えるクワガタムシや奇クワガタムシの代表的存在ダルマクワガタの仲間など逸品を多数展示しています。
チョウたちと出会えるところ岐阜市近郊を中心に、野外で見られるチョウの仲間を展示しています。「岐阜公園」「里山 I」「里山 II」「雑木林」「渓谷」「高原」の各地域でよく見られるチョウを展示。生態写真も使用し、見やすい展示を心がけています。世界の珍虫・奇虫歩く宝石カブリモドキ、飛ぶ宝石タマムシやコガネムシ、ガとは思えない美しいガ、世界最大のセミ、奇虫テナガコガネの仲間、世界最大を競うコガネムシの仲間など見どころ満載のコーナーです。身近な昆虫身近な昆虫をテーマに、昆虫の分類学的展示をおこなっています。
最後に日本三大大仏に会いに
最後に日本三大大仏会いに行ってきました。
拝観料は200円
御朱印帳を忘れかなり落ち込んだ泣
日本三大大仏
三大大仏の変遷は、京都府京都市の方広寺にあった京の大仏が3尊目に挙げられた江戸時代、兵庫県神戸市の能福寺にあった兵庫大仏が3尊目に挙げられた戦前、3尊目の定説はない戦後以降に大きく分けられる。
江戸時代
- 奈良の大仏(大和国添上郡(現奈良県奈良市)、東大寺)
- 鎌倉大仏(相模国鎌倉郡(現神奈川県鎌倉市)、高徳院)
- 京の大仏(山城国紀伊郡(現京都府京都市)、方広寺)
奈良の大仏と鎌倉大仏は江戸時代以前から存在するが、当時三大大仏の概念があったという話は伝わっていない。初めて三大大仏の概念が大衆に普及した形で現れることを史実として確かめられるのは江戸時代に入ってからだが、豊臣秀吉によって造営された京の大仏が完成した江戸時代初期には同様の概念が既にあったと考えられる。
豊臣秀吉による京の大仏は慶長元年7月13日(1596年9月5日)の慶長伏見地震によって開眼法要前に倒壊し、遺志を継いだ豊臣秀頼による2代目の京の大仏は、造営中の事故で溶解した。江戸時代の京の人々に長く親しまれることになる京の大仏は改めて造営された3代目のものである。しかし、3代目の京の大仏も寛文2年5月1日(1662年6月16日)の近江・山城地震によって損壊、解体され、銅は溶かされて貨幣(寛永通宝)に変えられた。新しく造営されたのは木造の大仏であったが、寛政10年(1798年)に落雷によって大仏殿もろとも焼失。その後天保年間に再建されるまでの間、京の大仏は姿を消した。なお、再建された大仏は非常に規模が小さいものであり、三大大仏に挙げられるようなものではなくなっていた。この大仏も昭和48年に火災によって大仏殿もろとも焼失している。
戦前
- 奈良の大仏(奈良県奈良市、東大寺)
- 鎌倉大仏(神奈川県鎌倉市、高徳院)
- 兵庫大仏(兵庫県神戸市、能福寺)
京の大仏が焼失したあと3尊目に挙げられたのは明治24年(1891年)に造営された兵庫大仏であった[8]。その規模はかつての京の大仏には及ばないが、長らく空いていた3尊目の座を埋めるには十分であった。しかし、兵庫大仏は太平洋戦争中の昭和19年(1944年)に出された金属類回収令によって供出される。その後、兵庫大仏は平成3年(1991年)になってようやく再建されたが、歴史の浅い2代目の兵庫大仏が三大大仏に挙げられるかどうかは異論がある。
戦後以降
- 奈良の大仏(奈良県奈良市、東大寺)
- 鎌倉大仏(神奈川県鎌倉市、高徳院)
- 岐阜大仏
兵庫大仏が供出された昭和時代中期以降、三大大仏の3尊目に富山県高岡市の大佛寺にある高岡大仏や岐阜県岐阜市の正法寺にある岐阜大仏などが挙げられることがあるが、ただ現状定説はない。
なお、岐阜大仏は、2017年11月より放映されたgoogleのTVCMにて日本三大仏として紹介された。
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