「いいアイデアを出そう」と机に向かった瞬間、頭が真っ白になる。ところが、移動中や寝る前、トイレに入った途端に答えが浮かぶ。こんな経験はないだろうか?
これは単なる偶然ではない。人間は集中すればするほど、発想の幅を自分で狭くしてしまうことがある。皮肉なことに、真面目に考えている時間より、少し力を抜いた時間のほうが、よい考えは出やすいのだ。
この現象を約1000年前に言葉にした人物がいる。中国・北宋の政治家であり文章家でもあった欧陽脩だ。
欧陽脩は、文章を考えるのに適した三つの場所として「馬上・枕上・厠上」を挙げた。この三つをまとめた言葉が「三上」である。
現代風に置き換えるなら、移動中、寝る前、トイレや入浴中だ。つまり、机にかじりついている時間ではない。
この記事では、ひらめきが出る「三上」の意味と由来、現代でも通用する理由、仕事や勉強への取り入れ方まで分かりやすく解説する。
ひらめきが出る「三上」とは何か
三上とは馬上・枕上・厠上のこと
「三上」は「さんじょう」と読む。
文章を考えたり、アイデアを練ったりするのに適した三つの場所を表す言葉だ。
具体的には、次の三つである。
・馬上:馬に乗っているとき
・枕上:寝床で横になっているとき
・厠上:トイレに入っているとき
現在の日本では馬に乗って移動する人はほとんどいない。そのため、馬上は電車やバス、車での移動中、または散歩中と考えると分かりやすい。
枕上は、布団やベッドに入ってから眠るまでの時間だ。
厠上は、そのままトイレに入っている時間を指す。入浴中やシャワー中も、厠上に近い環境だと私は考えている。
この三つに共通しているのは、目の前の作業から少し離れ、頭の緊張が弱まっていることだ。
三上の由来は欧陽脩の『帰田録』
三上という言葉は、中国・北宋の欧陽脩が書いた『帰田録』に由来する。
欧陽脩は1007年に生まれ、1072年に亡くなった政治家・学者・文章家だ。優れた文章家をまとめた「唐宋八大家」の一人にも数えられている。人間は1000年前から「机で考えても何も出ない」と悩んでいたらしい。文明が進んでも、脳の扱い方はあまり進歩していない。
『帰田録』には、次の文章が残されている。
「余平生所作文章、多在三上。乃馬上、枕上、厠上也。蓋惟此尤可以属思爾。」
簡単に訳すと、次のような意味になる。
「私が普段作った文章の多くは、三上で考えたものである。三上とは馬上、枕上、厠上のことだ。これらの場所が、特に考えをまとめるのに適している」
原文は、維基文庫の『帰田録』や、中国哲学書電子化計画で確認できる。日本語の書き下し文や注釈は、漢文大系「三上」が分かりやすい。
「三上」は場所よりも状態が重要
三上をそのまま受け取ると、「馬に乗らなければアイデアが出ない」「トイレに長時間いればよい」と考えてしまうかもしれない。
しかし、大切なのは場所そのものではない。
三上が示しているのは、少し単調な行動をしながら、頭が自由に動ける状態である。
馬上では、馬に揺られながら景色が流れていく。枕上では、体を横にして緊張が弱まる。厠上では、他人から離れて一人になる。
どの場面でも、複雑な判断や細かな作業を続けているわけではない。そのため、直前まで考えていた情報が頭の中で組み合わされ、別の形で浮かびやすくなる。
三上とは、特別な場所を探す方法ではない。考える時間と、考えない時間を分ける方法なのだ。
なぜ三上ではひらめきが出やすいのか
考え続けるより一度離れたほうがよい
難しい問題を解こうとして、同じ考え方を何度も繰り返してしまうことがある。
文章のタイトルが決まらない。新しい企画が出ない。問題の解き方が分からない。そんなときに机へ座り続けても、同じ場所をぐるぐる回るだけになりやすい。
そこで一度、問題から離れる。
心理学では、問題から離れている間に考えが整理され、戻ったときに解決しやすくなる現象を「インキュベーション」と呼ぶ。
2012年に発表された研究では、創造性を使う課題の途中で簡単な作業を行い、心が別のことへ動きやすい状態を作ると、休憩後の成績が上がる場合があると報告された。何もしない休憩や、集中力を必要とする難しい作業よりも、単純な作業が効果を示したのである。
研究内容は、PubMed「Inspired by distraction」で確認できる。
三上も同じように、考えた問題を一度手放す時間を作っている。
頭が自由に動く時間が必要になる
人間の脳は、何もしていないように見える時間にも活動している。
ぼんやりしているときには、過去の記憶を思い出したり、未来を想像したり、関係がなさそうな情報を結び付けたりする。こうした働きには、デフォルト・モード・ネットワークと呼ばれる脳のネットワークが関係すると考えられている。
ただし、「ぼんやりすれば必ず天才的な発想が出る」という話ではない。創造的な思考では、自由な連想に関わる働きだけでなく、出てきた案を選び、形にするための制御も必要になる。脳科学の研究でも、創造性にはデフォルト・モード・ネットワークと実行制御系の協力が関係すると報告されている。
つまり、ひらめく時間と、まとめる時間の両方が必要なのだ。
三上で案を出し、机上で仕上げる。この順番が強い。
歩くことも発想を助ける
現代の馬上に近い行動として、私は散歩をおすすめしたい。
2014年の研究では、座っている場合と比べて、歩いている最中や歩いた直後には、物の新しい使い方を考えるような発散的思考の成績が上がることが示された。
屋外を歩かなければ意味がないわけではなく、室内のランニングマシンでも効果が確認されている。景色だけでなく、歩く行為そのものが発想を助ける可能性があるのだ。
一次資料は、米国心理学会掲載の研究論文で読める。
アイデアが出ないときに、画面を見ながらさらに検索を続けるより、10分ほど歩いたほうがよいこともある。情報を追加し続けるだけでは、頭の中の材料を組み替える時間が消えてしまうからだ。
現代版の三上はどこになるのか
馬上は移動中や散歩中
現代の馬上に当たるのは、電車、バス、徒歩での移動中だ。
ただし、スマートフォンで動画やSNSを見続けている場合は、三上の効果を生かしにくい。
移動時間に新しい情報を大量に入れると、頭が自由に動く余地がなくなる。せっかくの馬上が、ただの広告閲覧時間になる。実に現代的で、少し情けない話だ。
私は、考えたいテーマを一つ決めてから歩くようにしている。
たとえば、次のような形だ。
「この記事で一番伝えたいことは何か」
「このサービスをもっと簡単にできないか」
「生徒がこの問題で間違える理由は何か」
問いを一つだけ頭に入れ、その後は無理に答えを出そうとしない。これだけでよい。
枕上は眠る前と目覚めた直後
寝る前は、日中の仕事や人との会話から離れ、頭の緊張が弱まる時間だ。
このときに考えが浮かぶことは多い。しかし、スマートフォンを見ながら寝落ちすると、せっかくの枕上を他人の投稿で埋めてしまう。
寝る前に考えたいテーマを短く確認し、画面を閉じる。そこで答えが出なくても問題ない。
また、朝起きた直後に考えがまとまっている場合もある。目覚めたときに確認できるよう、枕元にメモ帳を置いておくと便利だ。
ただし、寝つきを悪くするほど考え込むのは逆効果である。枕上は悩み続ける場所ではない。問いを置いて、手放す場所だ。
厠上はトイレや入浴中
トイレや風呂は、現代でも一人になりやすい場所だ。
特に入浴中は、パソコンやスマートフォンから離れやすい。仕事の通知も来ない。人類はようやく静かになれる。
そのため、文章の構成や企画の案が急に浮かぶことがある。
問題は、風呂から出た瞬間に忘れることだ。
脱衣所にメモ帳を置く、スマートフォンの音声入力を使う、防水メモを用意するなど、記録する仕組みを作っておきたい。
ひらめきは、保存しなければ存在しなかったのと同じだ。
三上を使ってアイデアを出す実践方法
最初に材料を集める
何も知らない状態で散歩しても、よい案が必ず出るわけではない。
ひらめきは、頭に入れた材料の組み合わせから生まれることが多い。
まずはテーマについて調べ、必要な情報を集める。文章を書くなら、読者の疑問、競合記事、一次資料、自分の経験などを確認する。
ただし、情報収集を続けすぎてはいけない。
「まだ足りない」と検索を続けると、考える作業を先送りしているだけになる。必要な材料が集まったら、一度画面を閉じるべきだ。
問いを一つに絞る
三上に入る前には、問いを一つ決める。
「よいアイデアが欲しい」では広すぎる。
次のように、具体的な問いに変えると考えやすい。
「この記事の結論を一文で表すなら何か」
「この作業を一工程減らす方法はないか」
「初めて見る人が迷う場所はどこか」
「この説明を中学生にも伝えるにはどうするか」
問いを一つに絞ることで、頭の中にある材料が同じ方向へ動き始める。
単純な行動に切り替える
問いを決めたら、机から離れる。
10分ほど歩く、風呂に入る、洗濯物を畳む、電車の窓を見るなど、あまり頭を使わない行動へ切り替える。
この時間に、無理やり答えを出そうとしてはいけない。
思考を完全に止める必要もない。考えが浮かんだら追い、消えたら放っておく程度でよい。
三上は、集中を捨てる方法ではない。集中と休息を交互に使う方法である。
浮かんだ瞬間に記録する
アイデアは驚くほど簡単に消える。
「あとで覚えているだろう」と思っても、ほぼ忘れる。脳に対する人間の自信は、毎回根拠がない。
記録方法は簡単でよい。
・スマートフォンのメモ
・音声入力
・自分宛てのメッセージ
・小さなメモ帳
・防水メモ
文章として完成させる必要はない。
「タイトルに三上と現代版を入れる」
「馬上=散歩、枕上=寝る前、厠上=風呂」
「考える→離れる→戻る」
この程度の短い言葉で十分だ。
最後は机上で仕上げる
三上で出てきた案は、そのままでは粗い。
面白そうに見えても、調べると間違っていたり、実行が難しかったりする。ひらめきは完成品ではなく、素材だ。
そこで机に戻り、案を整理する。
事実を確認し、不要な部分を削り、順番を整える。文章なら読み手に伝わる形へ直す。企画なら費用や時間、実現性を検討する。
「三上で発想し、机上で編集する」
ここまで行って、初めて三上が仕事に使える。
三上を使うときの注意点
ぼんやりすれば必ず発想が出るわけではない
休めば自動的にアイデアが出るわけではない。
最初に考える材料や問題意識がなければ、ただ休んで終わることもある。それ自体は悪くないが、発想法としては不十分だ。
また、アイデアを出している最中に注意がそれすぎると、逆に成績が下がる可能性も報告されている。2015年の研究では、発想課題を実行している最中の強いマインドワンダリングは、アイデアの数や独創性の低下と関係していた。
大切なのは、考える途中で無制限に気を散らすことではない。
一度集中して材料を入れ、その後に休み、最後に再び集中する。この切り替えが必要だ。
スマートフォンで三上を潰さない
現代人が三上を使えない最大の理由は、空白の時間をすべてスマートフォンで埋めてしまうことだ。
電車に乗ればSNSを見る。布団に入れば動画を見る。トイレにもスマートフォンを持ち込む。
これでは馬上も枕上も厠上も、すべて「画面上」になる。
新しい情報を受け取っている間は、自分の中にある情報を整理しにくい。ひらめきが欲しいなら、何も見ない時間を予定として作るべきだ。
退屈は無駄ではない。発想のための余白である。
まとめ
ひらめきが出る「三上」とは、馬上・枕上・厠上の三つを表す言葉だ。
北宋の文章家・欧陽脩は、自分が作った文章の多くを、馬に乗っているとき、寝床で横になっているとき、トイレにいるときに考えたと『帰田録』へ記している。
現代風に置き換えるなら、移動中や散歩中、寝る前、トイレや入浴中になる。
三上の本質は、特定の場所ではない。
一度しっかり考えた後、単純な行動へ切り替え、頭を自由に動かすことだ。心理学で研究されているインキュベーションや、歩行と創造性の関係にも通じる考え方である。
実践するときは、次の流れを意識したい。
材料を集める。
問いを一つ決める。
机から離れる。
浮かんだ案を記録する。
机に戻って仕上げる。
アイデアが出ないとき、さらに強く考えればよいとは限らない。
画面を閉じ、少し歩き、風呂に入り、早めに布団へ入る。人間の脳は、命令されているときより、少し自由になったときのほうがよく働くことがある。
ひらめきを待つのではなく、ひらめきが出る余白を作るべきだ。それが、1000年前から残る「三上」という知恵なのである。

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