天皇制をめぐる歴史的構図
日本における「右翼」と「左翼」の関係は、戦前・戦後・現代と通じて変動してきた。一般的には「右翼=天皇制支持、左翼=天皇制反対」と単純に捉えられがちだが、それ以上に深い闇と政治的対立が背景にある。特に幕末から近現代にかけ、天皇家と旧宮家(伏見宮系)による権力争いが“右翼的勢力”と結びつき、昭和天皇や貞明皇后が“左翼的勢力”と私的な関係を持ったという研究もある。これをふまえると、「親天皇=保守・右翼」も一面的な見方にすぎないことが浮かび上がる (Amazon Japan, 筑摩書房)。
伏見宮系と軍部の“右翼連合”
著書『天皇と右翼・左翼』によると、伏見宮系の皇族と旧陸海軍、さらに長州閥の一部(倒幕派)は、反英米・民族主義・皇道派思想などを共有し、日中戦争や対米開戦を主導していたとされる (新書マップ4D, 筑摩書房)。この勢力は昭和20年8月15日の宮城事件、三島事件にも関与し、むしろ反昭和天皇的な動きを示しさえしたという。これら事件は、戦局悪化のなか「最後の抵抗」を企図した右翼的クーデターの一環とされる。
昭和天皇・貞明皇后と左翼勢力との意外な繋がり
一方で、昭和天皇や貞明皇后は個人的に左翼的思想家や革新派と交流関係があったとして注目される (Amazon Japan, 紀伊國屋書店)。これは、当時の政治的軸である「国体護持」ではなく、「人々の苦しみに寄り添う」姿勢を示しており、天皇制=右翼の代名詞というステレオタイプを揺るがす。つまり“親天皇=右翼”の固定観念は、実は誤解に満ちているのだ。
戦後の「左右連合」とは
1950〜60年代、日本の政治構造においては、冷戦的な左右対立だけでは説明できない独自の「左右連合」も見られた。たとえば1960年の安保闘争では、天皇制擁護の立場にあった保守派と、憲法9条支持の革新派がともに異なる目的で国会前に集結している (筑摩書房, スペースシップ・アース)。そこには天皇制の象徴的価値をめぐる複雑で矛盾した政治連携が存在し、現代の単純な保守・革新構図からは見えない“中道的連携”の原点とも言えるだろう。
現代日本における右翼・左翼の天皇認識の違い
現代社会では、右翼的傾向の政党(自民党、日本維新の会、参政党など)は天皇制と皇室の伝統を支持する姿勢を明確に打ち出している (スペースシップ・アース, ウィキペディア)。一方、左翼(日本共産党、社会民主党、立憲民主党など)は、女性天皇容認、皇族の特権縮小などを支持する傾向があり、憲法主義やジェンダー平等の視点から天皇制に改善を求めている (スペースシップ・アース)。このように、現在の「右翼=現状維持」「左翼=変革志向」という図式は現実と合致してはいるものの、その成り立ちは歴史的な背景を複雑に交差している。
天皇制をめぐる“権威の位置づけ”の争い
憲法下の象徴天皇制は、国民主権の下に置かれ、天皇の地位と役割は厳密に定義されている (ウィキペディア)。しかし右翼側(特に日本会議など)からは「象徴を超える明確な国家元首としての位置づけ」に再定位しようという動きも根強い (ウィキペディア)。一方左翼側は「象徴天皇制の範囲内で一定の制限を強め、皇族の特権や行財政的影響力の縮小」を主張する傾向が強く、議論の焦点は「どの程度まで天皇という制度を政治権力から切り離すか」にある。
複雑で流動する「左右」観の教訓
現代では「右翼=右翼的」「左翼=左翼的」というラベルに囚われず、多層的に思想を分析する視点が求められる (スペースシップ・アース)。事実、日本の右翼は国家主義や伝統主義を含む資本主義支持の一面を持ち、左翼も社会民主主義や人権保障の文脈では国家資源を用いる傾向もある。天皇制問題においては、単なるイデオロギーの対立以上に、「象徴」としての機能、政治的象徴、歴史文化の継承など、さまざまな利害が交錯し合っている。
まとめ
天皇という制度を軸に見ると、「右翼=天皇制支持」「左翼=反天皇制」という単純な対立図式は成立しない。幕末以来、伏見宮系の“右翼勢力”と天皇家内の“左翼志向勢力”の構造的な分断が歴史に影響を与えており、現代においても政治的イデオロギーと天皇制への向き合い方にはさまざまな矛盾と連携が内包されている。
日本の政治文化や思想の深層を理解しようとしたとき、この“天皇をめぐる左右の歴史”は、その複雑さゆえにこそ、われわれの視座を広げ、単純化への警戒を促す重要な教訓を含んでいる。
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