米騒動とは何だったのか──社会不安の象徴としての1920年前後の混乱
1918年、富山県の漁村で主婦たちが立ち上がった「米騒動」は、単なる食料価格高騰への抗議にとどまらず、日本社会全体の構造的矛盾を露呈する事件となりました。軍への優先供給、輸送インフラの欠如、地主と小作制度の不均衡など、さまざまな要因が複雑に絡み合って勃発したこの騒動は、当時の政府を揺るがし、内閣総辞職という大きな政治的転換をもたらしました。
この米騒動は、「米」の生産・流通・価格決定が国家と国民生活にいかに深く関わっているかを浮き彫りにし、その後の農政や制度改革に多大な影響を及ぼしました。そして今日、約100年の時を経てもなお、農協(JA)を取り巻く問題には、このとき露呈した構造的課題が色濃く残っています。
農協の成立と米騒動の教訓──「農民のため」の組織は誰のものか
戦後の農地改革とともに誕生した農業協同組合(JA)は、「農民による、農民のための組織」として制度化されました。米騒動で顕在化した流通の脆弱さと価格の不安定さを解消する目的もあり、生産者保護と安定供給を同時に追求する機能を担ってきました。
しかし現実には、農協は「生産者を守る」ための組織であるはずが、次第に「既得権を守る」体制へと変質していきます。特にコメをめぐる制度では、減反政策や補助金制度が固定化され、実需とは乖離した生産体制が温存されていきました。その結果、農業の高齢化・後継者不足が深刻化し、若手の新規参入は困難を極めています。
農協の米流通機能──「全量買い取り」と市場原理の崩壊
農協が果たす最大の機能の一つが、米の集荷と販売です。しかしその過程では、農家から一括で米を買い上げ、価格を調整し、最終的に市場へ流すという「全量買い取り」モデルが長く続いてきました。
このモデルには「農家の収入が安定する」という利点がある反面、「価格競争が起きない」「品質にかかわらず横並びの価格が設定される」といった問題もあります。つまり、努力して品質の高い米を作っても、出荷先が農協である限り、差別化が困難なのです。
さらに農協自体も、金融・共済・肥料・農薬など多角的な事業を抱える巨大組織となり、「農業支援」ではなく「収益のための経済組織」と化しているという批判も少なくありません。
米騒動の教訓が活かされていない日本農政──なぜ同じ構造が繰り返されるのか
1918年の米騒動が突きつけたのは、国家と民衆の「情報格差」と「価格操作」でした。現代の日本農業においても、形を変えて同じ問題が繰り返されています。たとえば、農協による販売価格の決定、農水省の補助金政策、政治と業界団体の癒着などがそれにあたります。
米騒動から1世紀が過ぎても、依然として農業政策は「票田」として扱われ、根本的な構造改革がなされないまま時間だけが経過しています。過去からの教訓が制度化されることなく、形式的な対応に終始していることこそ、もっとも根深い問題と言えるでしょう。
脱・農協依存の動き──個人農家・ベンチャーによる流通革命
近年、米をはじめとする農産物の販売において、「農協を通さない」選択をする農家が増加しています。ネット直販、クラウドファンディング、ブランド米の開発など、農協に頼らずとも販路を確保する手段が急速に広がっているのです。
これにより、農家は価格設定の自由を得るとともに、消費者との直接的な関係を構築することができ、結果として品質やストーリーを重視する販売が可能になります。米騒動当時には夢物語だった「農民が価格を決める」時代が、ようやく到来しつつあるのです。
まとめ──米騒動の再来を防ぐために必要な視点とは
米騒動は、ただの暴動ではなく、食料政策と流通制度が国民の生活に直結していることを強く訴えた歴史的事件でした。そして農協制度は、その教訓から生まれたにもかかわらず、時とともに硬直化し、同じ問題を繰り返す温床となってしまいました。
今こそ必要なのは、過去の制度にしがみつくのではなく、農業を「国策」から「経済活動」として捉え直す発想です。農家が自由に動き、消費者が適切な価格で品質を選ぶことができる市場こそ、米騒動の教訓に最も忠実な未来像ではないでしょうか。
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