「たかが古い辞書でしょ?」──そう思った人ほど、**広辞苑 第一版**を前にすると考えが変わる。
結論を先に少しだけ言うと、広辞苑第一版の価値は「実用性」ではなく、「思想・歴史・言葉の化石」にある。
ではなぜ、70年近く前の辞書が、今なお語られ、取引され、研究対象になるのか。その理由を掘り下げていく。
広辞苑第一版の価値は「情報量」ではなく「時代そのもの」
1955年という時代背景が価値を生む
広辞苑第一版が刊行されたのは1955年。戦後日本がようやく復興の軌道に乗り始めた時代だ。
この時代の日本語は、戦前・戦中の価値観と、戦後民主主義の価値観が混在している。つまり第一版は、日本語が大きく揺れていた瞬間をそのまま閉じ込めた資料でもある。
今の辞書は、正確で中立で、配慮が行き届いている。一方、第一版は違う。
言葉の定義が、良くも悪くも「率直」だ。現代なら注釈が付きそうな表現も、当時はそのまま載っている。
それは差別的というより、「時代の空気を編集せずに残してしまった結果」だと言える。
現代の辞書では消えた言葉が普通に載っている
第一版を開くと、今では使われなくなった語、意味が変質した語、価値判断を含んだ語義が大量に出てくる。
これは単なる懐古趣味ではない。言葉は社会の写し鏡だからだ。
例えば、職業、家族観、男女の役割、国家や思想に関する語義。
それらは「言葉の説明」でありながら、同時に当時の常識の告白でもある。
現代辞書は「正しさ」を目指すが、第一版は「当時の本音」を残している。
この違いこそが、第一版最大の価値だ。
広辞苑第一版は「読む辞書」であり「資料」
調べるための辞書ではない
正直に言うと、日常で使うなら第一版は不便だ。
語彙は少なく、現代語や新語は当然載っていない。表記も古い。
それでも価値があるのは、調べるためではなく、読むための辞書だからだ。
ページをめくるたびに、「あ、この言葉、当時はこう理解されていたのか」と気づきが生まれる。
これは電子辞書や最新の国語辞典では得られない体験だ。
辞書なのに、思想書に近い
第一版の語義は、今読むとどこか断定的で、時に踏み込んでいる。
それは編集方針が未成熟だったというより、「学者の言葉がそのまま載っていた」時代だったからだ。
つまり第一版は、言語学者や編纂者の思想が透けて見える辞書でもある。
現代のように、多人数で無難に整えた辞書ではない。
その点で、第一版は「学術書」と「思想書」の中間に位置する、不思議な存在だ。
市場価値としての広辞苑第一版
なぜ今でも売買されるのか
古書市場では、状態の良い第一版が一定の価格で取引されている。
理由は単純で、「数が減り続けている」からだ。
紙質は現代ほど強くなく、戦後すぐの製本技術でもある。
保存状態が良い個体は年々少なくなり、結果として希少性が高まる。
これは投機というより、文化財的な価値の上昇に近い。
コレクターと研究者、両方に需要がある
第一版を求める人は、大きく二種類いる。
一つはコレクター。
「日本語の原点を手元に置きたい」という欲求だ。
もう一つは研究者・書き手。
言葉の変遷、概念の変化、思想史を追うための一次資料としての価値がある。
実用性ではなく、参照価値と象徴価値が需要を支えている。
広辞苑第一版が教えてくれる「価値」の正体
価値は新しさでは決まらない
広辞苑第一版を見ていると、価値とは「便利かどうか」では測れないとわかる。
古い、使いにくい、時代遅れ。それでも価値がある。
なぜならそれは、もう二度と作れないものだからだ。
同じ内容を、同じ時代背景で、同じ価値観で、再編集することは不可能だ。
言葉は更新され、価値は固定される
言葉そのものは変わり続ける。
しかし「その時代に言葉がどう定義されていたか」という事実は変わらない。
第一版は、更新されない価値を持つ。
それはデータではなく、記録だからだ。
まとめ:広辞苑第一版の価値は「過去をそのまま持てること」
広辞苑第一版は、古い辞書ではない。日本語がまだ迷っていた時代を、丸ごと閉じ込めた装置だ。
便利さや正確さを求めるなら、最新の辞書を使えばいい。
しかし「言葉がどこから来たのか」「何を背負ってきたのか」を知りたいなら、第一版に触れる意味は大きい。
価値とは、役に立つかどうかではなく、失われたら二度と戻らないものに宿る。
広辞苑第一版が今も語られる理由は、そこに尽きる。

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