西城秀樹死亡原因は?通夜葬式は?

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こんにちはTacです。

「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN」などのヒットで知られる歌手の西城秀樹(さいじょう・ひでき、本名・木本龍雄=きもと・たつお)さんが16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなったことが17日に分かった。

63歳。

広島市出身。

2003年と11年に脳梗塞を発症、右半身麻痺の後遺症が残っていた。

4月25日に入院し、そのまま帰らぬ人となった。



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西城秀樹死亡原因は?通夜葬式は?


通夜は25日午後6時、葬儀・告別式は26日午前11時から、いずれも青山葬儀所で営まれる。

小学5年生で兄とバンドを組み、高校時代にジャズ喫茶で演奏していた際にスカウトされ、家族の反対を押し切って上京。

1972年(昭和47)3月に「恋する季節」でデビュー。

郷ひろみ、野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれトップアイドルとなった。

73、74年と連続して日本レコード大賞歌唱賞を受賞。

テレビドラマ「寺内貫太郎一家」(74年、TBS)、

映画「愛と誠」(74年)に出演し、芸域を広げた。

ハウス食品「バーモントカレー」のCMには73年から12年間出演、「ヒデキ、感激!」などのキャッチフレーズは商品とともに世に広まった。

その後「炎」(78年)、「勇気があれば」(79年)、「ギャランドゥ」(83年)などのヒットを飛ばし、外国曲のアレンジとなった「YOUNG MAN」では、両腕を使って「Y.M.C.A.」を表現する振り付けが流行し、子供から大人まで親しまれ、TBS「ザ・ベストテン」では2週連続「9999点」の満点という唯一の記録を打ち立てた。

03年に韓国でのディナーショーの後、脳梗塞を発症。

15年前からは病気とも戦ってきた。

歌手として脂の乗っていた48歳の時に最初の脳梗塞を発症。

8年後の11年に再発。

それからは、右半身のまひと、会話をする際の言葉に障害が残った。

09年の日刊スポーツのインタビューには「終止符を打つまでは人生を楽しみたい。自分だけでなく、周囲のみんなを楽しませたい。『一生懸命』という言葉はあまり好きじゃなかったけど、一生懸命に、今できることをやっていきたい。病気のおかげで多くのことに気付くことができたから。人に希望を与えていく歌い手になりたい」と話した。

筋力強化トレーニングやリハビリに務めながら、60歳をすぎても歌への意欲は決して衰えなかった。

15年に発売した還暦記念アルバム「心響-KODOU-」では、ライブで歌唱してきた「蜃気楼」を3120日ぶりの新曲として収録。

デビュー45周年の節目となった昨年まで、精力的にコンサートのステージに立ち続けた。

言葉をうまく発音できないなどの障害に見舞われながらリハビリで復帰し「あきらめない 脳梗塞からの挑戦」を出版。

右半身麻痺の後遺症が残っていた。



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