海賊と呼ばれた男の映画が公開されます。実際にいる人物なの?

こんにちはTac^^です。

もうすぐ百田尚樹先生原作の海賊と呼ばれた男が公開されます。

原作もかなり気になったので、

映画も期待大ですね。


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映画の概要

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タイトル:海賊と呼ばれた男

公開日:2016年12月10日

2013年度本屋大賞第1位を獲得した百田尚樹の同名ベストセラー小説。

同じ百田原作の「永遠の0」を大ヒットさせた岡田准一主演×山崎貴監督のタッグで映画化。

主演、原作、監督の三人がチームになった今回の映画もかなり期待が持てます。

岡田くんの渋い演技大好きです。


スタッフ

監督:山崎貴

原作:百田尚樹

脚本:山崎貴

VFX:山崎貴

音楽:佐藤直紀

キャスト

  • 岡田准一:国岡鐡造
  • 吉岡秀隆:東雲忠司
  • 染谷将太:長谷部喜雄
  • 野間口徹:柏井耕一
  • 鈴木亮平:武知甲太郎
  • ピエール瀧:藤本壮平
  • 須田邦裕
  • 飯田基祐
  • 矢島健一
  • 小林隆
  • 浅野和之
  • 光石研:国岡万亀男
  • 綾瀬はるか
  • 堤真一:盛田辰郎
  • 近藤正臣:木田章太郎
  • 國村隼:鳥川卓巳
  • 小林薫:甲賀治作

あらすじ



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主要燃料が石炭だった当時から、石油の将来性を見抜いていた国岡鐡造は、

北九州の門司で石油業に乗り出す。

だが、国内の販売業者や欧米の石油メジャーなど、様々な壁が立ちふさがる。

それでもあきらめない鐡造は、型破りな発想と行動で自らの進む道を切り開いていく。

やがて石油メジャーに敵視され、石油輸入ルートを封じられてしまう。

しかし、唯一保有する巨大タンカー「日承丸」を秘密裏にイランに派遣するという大胆な行動に出る。

それは当時のイランを牛耳るイギリスを敵に回す行為だった……。

果たしてどうなるのか?

海賊と呼ばれて男(モデル)

出光興産創業者の出光佐三氏がモデル。

「出光興産創業者の出光佐三」の画像検索結果

略歴

1885年(明治18年)8月22日

福岡県宗像郡赤間村(現・宗像市)に生まれる。

父は藍問屋を営む出光藤六、母は千代。

1901年(明治34年)

福岡市商業学校(現・福岡市立福翔高等学校)に入学。

1905年(明治38年)

神戸高等商業学校(現・神戸大学経済学部)に入学。

1909年(明治42年)

同校卒業。卒業論文は「筑豊炭及び若松港」。

神戸大学在学中、佐三は将来外交官になろうと考えていた。

当時同校の卒業生は海運会社の社員に就職するのが通常だったが、神戸で小麦粉と石油・機械油などを扱う従業員3人の酒井商店に丁稚として入店。

学友から「お前は気違いだ。学校のつらよごしだ」と非難を受ける。

1911年(明治44年)6月20日

日田重太郎(資産家。日田の息子の家庭教師を佐三がしていた)から別荘を売却して得た資金8,000円を渡され、満25歳で独立。

その条件が一風変わっていて、

「ただやるのだから返さなくていい。利子もいらない。また、事業の報告もしなくてよい。君が好きに使え。ただ、独立を貫徹すること。そうして兄弟仲よくやってくれ。」というものであった。

この日田さんの条件かっこいいすね。

福岡県門司市(現・北九州市門司区)に出光商会を設立。

日本石油(現・JXエネルギー)の特約店として機械油を扱った。

1914年(大正3年)

南満州鉄道に車軸油の納入成功。

1919年(大正8年)

酷寒の地・満州で車軸油が凍結し、貨車のトラブルが続出していた南満州鉄道に「2号冬候車軸油」を無償で提供。

当初は使われてすらいなかったが、単身満州にわたり満鉄本社に直談判し、現地で試験を行い、事故を一掃した。

1923年(大正12年)

関東大震災に際し、全店員に禁煙を呼びかける(2ヶ月間)。

1924年(大正13年)

第一銀行(現・みずほ銀行)からの25万円の借入金引き揚げ要請があったが、

二十三銀行(現:大分銀行)の林清治支店長が肩代わり融資を決め、窮地を脱する。

この頃、自殺説までささやかれる。

1927年(昭和2年)

1919年の功績を認められ、満鉄創立20周年のときに、感謝状と銀杯が贈られた。

1929年(昭和4年)

朝鮮における石油関税改正のために奔走。

1932年(昭和7年)

門司商工会議所会頭に就任。

1935年(昭和10年)

「満州国」の石油専売制に反対。

1937年(昭和12年)

2月 貴族院議員(多額納税)として登院。

1938年(昭和13年)

国策会社大華石油設立に反対。

1940年(昭和15年)3月

出光興産株式会社を設立。

1941年(昭和16年)

北支石油協会の設立に反対。

1943年(昭和18年)

石油販売法に反対。

1945年(昭和20年)8月

出光佐三は、終戦の2日後、従業員に対し、

「愚痴をやめよ。世界無比の三千年の歴史を見直せ。そして今から建設にかかれ」と訓示した。

当時、多くの企業が人員を整理する中、出光佐三は約1千名の従業員の首を切らないことを宣言した。

この家族のように社員を考える社長ってやっぱすごいですよね。

Panasonicの松下幸之助さんも似た考えをお持ちですよね。

1946年(昭和21年)

国際石油カルテル独占を規制することを建言。

1947年(昭和22年)

公職追放令該当のため貴族院議員資格が消滅(3月12日)。

出光、石油配給公団の販売店指定を受ける(10月)。

出光商会と出光興産が合併し、出光興産として再出発(11月)。

1949年(昭和24年)10月

出光興産、元売業者の指定を受ける。

1950年(昭和25年)

出光興産、石油製品の輸入を主張。

1951年(昭和26年)9月

出光興産、日章丸二世を建造。

「消費者本位の石油政策」を発表。

1952年(昭和27年)

出光興産、高オクタン価ガソリンを輸入。

1953年(昭和28年)5月9日

イラン石油輸入。

{日章丸事件:

日章丸二世(1万9千重量トン)が、

石油を国有化し英国と係争中のイランのアバダンから、

ガソリンと軽油を満載し、川崎へ入港}。今回の映画の本筋ですね!

英国アングロイラニアン社(BPの前身)は積荷の所有権を主張。

東京地方裁判所に提訴したが、出光の勝訴が決定。

日本国民を勇気付けるとともに、イランと日本との信頼関係を構築した。

なんだか中東と日本のつながりがある気がしましたね。

ちなみにこのとき、

佐三は、東京地方裁判所民事九部北村良一裁判長に

「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の一人として俯仰天地に愧じない行動をもって終始することを、裁判長にお誓いいたします。」と答えた。

「俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じず」の意味

《「孟子」尽心上から》
天の神に対しても、地の神に対しても、何ら恥ずべきところがない。
少しもはじるところがないこと、公明正大であることのたとえ。

1957年(昭和32年)3月

出光興産の徳山製油所、竣工。

1960年(昭和35年)4月

出光興産、ソ連石油を輸入。

1962年(昭和37年)

生産調整に反対し、出光興産、石油業法に反対。

石油連盟脱退を決める。

1963年(昭和38年)

出光興産の千葉製油所、竣工(1月)。

出光興産、石油化学工業へ進出(4月)。

出光興産、石油連盟から一時脱退(11月)。

1966年(昭和41年)

出光興産の社長を退き、会長に就任。

生産調整が廃止されたことを受けて石油連盟復帰。

1972年(昭和47年)

出光興産の会長を退き、店主に就任。

1976年(昭和51年)

フランス共和国文化勲章コマンドール受章。

1981年(昭和56年)3月7日

95歳で逝去。

大往生だったのでしょうか。だと願いたいですね。

こんな男気のある人かっこいいですよね。

是非とも映画を楽しみにしたいですね。


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